父は2歳の時に死んだので僕には父の記憶はない。
母は土蔵を改装してピアノ教室を開いていた。K青年はピアノの生徒だっ
た。県の出先機関の職員で我が家の近くのアパートに住んでいた。子供の頃
にピアノを少し習っていて全くの初心者ではなかったらしい。Kは独身で母
の誕生日に花束を持ってきたり、ピアノのレッスンの後、僕と遊んでくれた
り、力仕事が必要な家事を手伝ってくれたり、母のお気に入りの生徒だっ
た。時々我が家で夕食を食べていくこともあった。僕が小学1年か2年の
頃、夏のある日、僕と母とKは車で3時間ほど離れた隣県の海へ海水浴に行
った。その夜は少し山手の温泉宿に泊まった。
僕とKは夕食の前に温泉に入った。Kのペニスは大きく15㎝もありそう
な巨根が股間にだらりとぶら下がっていた。
食堂での夕食が終わり部屋に帰ると3人分の布団が敷いてあった。
僕たちはテレビを見たりお喋りをしたりして遊んだ。そのうちに僕は眠くな
り真ん中の布団に寐た。Kと母はもう一度温泉にはいると言って出て行っ
た。どのくらい眠ったのか、ふと目が覚めた。部屋は暗かったが、隣の布団
から押し殺した母のすすり泣くような喘ぎ声と、それにシンクロするような
Kの荒い息づかいが聞こえた。それは僕が生まれて初めて聞く異様な気配だ
った。その頃の僕には大人のセックスに関する知識は何一つ無かったが、多
少の好奇心だけは芽生えていた。そしてこの異様な気配はたぶん大人のセッ
クスかも知れないと直感的に思った。僕は寝ているふりをしなければいけな
いと思い、そちら側に背を向けて息を殺した。だから母とKの実際の行為は
見てはいない。ただ息苦しいほどドキドキしながら母の押し殺した悩ましい
喘ぎ声を聞いただけだ。
母とKはたぶん僕を起こしてはいけないという配慮からだったと思うが、
非常に静かに声を殺して行為をしていた。そのために、僕は又いつの間にか
眠ってしまったらしい。その次に気がついた時には朝になっていた。何か夢
の中の出来事のようにも思えたが、夜中の母の喘ぎ声は思春期以前の僕の記
憶にしっかりと刻みつけられた。
その後、思春期になりエロ本を読んでセックスに対する知識が増え、オナ
ニーも覚えて快美感を知り、また時分自身がセックスを体験するようになっ
て、あの夜の母とKのセックスをはっきりと想像できるようになった。
あの頃、母はまだ30代の前半であり、20代後半のKとそんなに年の差
は無かった。おそらく母とKは僕の目を盗んではセックスの快楽に溺れてい
たに違いない。Kの隆々と勃起した巨根は空閨の母にとってどんなにか魅力
的だったことだろう。逞しい巨根に貫かれ抜き差しされて失神するほどの激
しい快感を与えられたに違いない。Kにとっても子供を一人産んだだけの
30代の未亡人の女体はおいしかったことだろう。あの日の海水浴も二人に
とってはセックス旅行だったのだ。僕が寐たことを確かめてから二人は抱き
合ったに違いない。母はKの巨根をフェラチオし、Kは母の豊満な乳房を揉
み
乳首を嘗め、そしてクリトリスを弄り、敏感な突起を剥き、舌で嘗め、陰唇
を広げ、膣に指を入れ、そして最後に巨根をインサートして激しく抜き差し
して母を犯したのだ。母は耐えきれずに悦楽の喘ぎを上げ、もっと深い快楽
を求めて腰を動かしたに違いない。思春期の頃、僕は母を犯すKに嫉妬して
いた。本当は僕が母を犯したかったのだ。