私が小さい時、それが当たり前だと思っていたのですが、、
私が中学校に入ったとき、妹の恵子も弟の信太郎も5歳より大きくなったの
で、母たちと別の部屋で寝ていました。
私は、「佳子も中学に入ったんだから、勉強もしなければいけないからね」
と、祖母が言ってくれ、一つの部屋をもらいました。
そんな優しかった祖母も、私のセーラー服を見て、去年亡くなりました。
最初の頃、落ち込んでいた祖父も母の励ましもあり、徐々に元気になり母と
二人で畑仕事に行くようになりました。
祖母が亡くなって変わったことといえば、父の仏壇の位牌の横に祖母の位牌
が増え、それまで祖父の部屋に母と祖父の2枚敷かれていた布団に変わり、
祖母の一周忌が終わった頃、大きなダブルベットが来たことです。
それまで一番後から寝ていた母も、私が試験のため夜遅くまで勉強をしてい
ても、家事が終わるとそそくさと祖父に部屋に行ってしまいます。
この前の夜も、私が勉強の合間にトイレに立ったとき、祖父の部屋のふすま
が50センチほど開いていました。私が何の気なしのそっと覗くと、裸の祖
父の顔に裸の母が跨ぎ、祖父のおちんちんを咥えていました。
祖父のおちんちんはまっすぐ上に20センチほど立っていて、それを母は手
でしごいたり口に咥えて出し入れをしていました。そして祖父はそんな母の
股間を舐めています。しばらくそんなことが続いたのですが、祖父が母の肩
を叩くと合図のように母が体の向きを変え、今度は祖父の腰を跨ぎました。
そして母は、祖父のおちんちんを持つと自分のオマンコにあてがい、お尻を
下ろしながらオマンコに祖父のおちんちんを入れていったのです。
「ああ、お義父さん、気持ちいい、、、」
母は、お尻を下ろすと背中をそらし、祖父が下から母の胸を揉んでいまし
た。そんな母も今度はお尻を少しづつ上げ、祖父のおちんちが抜けそうにな
るとまたお尻を下げ、それを何度も繰り返すのです。
そのリズミカルな動きは、まるでベットのバネを利用しているようなスムー
ズなものでした。
「気持ちいいか。」祖父がそう言うと母は、「いい、いいわ、お義父さん、
最高、、、」と答え、何度もお尻を上下に動かし、祖父のおちんちんを出し
入れしていました。そして、しばらくし祖父が「逝くぞ。」と言うと、母が
「いいわ、お義父さんきて、ああ、私も逝く、、」と言い、動かしていたお
尻を急に止め、祖父の胸に倒れ込みました。
私の目には、母のオマンコに祖父のおちんちんがピクンピクンと動きながら
入り、その隙間から白い汁が垂れていました。
そして二人の頭の上には父と祖母の写真があり、笑いながら裸の二人を見て
いました。
私も中学生になり、姓に対して興味を持ち始め、今から考えるとあれは私へ
の性教育だったのかなと思っています。こんなことは誰にも言えませんが、
私が物心付き始めたころから、母と祖父と祖母が仲良く一緒にお風呂に入
り、同じ部屋で寝ていて何の違和感もありません。
それが当たり前と今でも思っているからです。
おわり