節分の日、父さんが赴任先から帰って来た。
母さんはハリキッて、恵方巻きとかいう太いノリ巻きを作っていた。
私も大きくなり、さすがに豆まきはしなくなったが、テレビなどで言う様に
その晩みんなで笑いながら、その恵方巻きなる太巻きを、南南東に向かって
かぶりついた。
チラッと横目で母さんを見たが、黒い太巻きを握っているその手つき、
大きく口を開け、ほうばる光景は何かイヤらしく見えた。
そんな日があって、しばらくしたある日、母さんとスーパーで一緒に買い物
をしながらバレンタインディに、父さんに贈るチョコレートを選んだ。
そして待ったが、父さんは帰って来なかった。
昨日、久しぶりに父さんが帰って来た。三人で夕食の時、母さんは照れくさ
そうにエプロンのポケットから、この間ふたりで選んだリボンの付いた
チョコを取り出し「遅くなったけど」と言い、父さんに渡した。
「おお、義理チョコか」と父さんが言った。すると母さんは「義理チョコ
じゃナイワヨネーッ」と言い、私の顔を覗き込んだ。
「そうよ!愛情こもってるんだから」と、私も母さんに加勢した。
「そうか、ゴメン・ゴメン。ありがとう」と頭を下げた。皆で笑った。
その晩、ふと何気なく二階のベランダから下を見下ろした。両親の部屋の
カーテンの脇から、真っ赤な電気の明りが漏れていた。
母さんは思いっきり、バレンタインディのサービスをしているらしい。
外は二人を濡らすかのように、音もなく春雨が降っていた・・・。
次の日、赴任先に戻る父さんを、母さんと一緒に見送る事にした。
三人で歩いていると、近所の人が夫婦で挨拶した。母さんは作り笑顔で会釈
していた。そこんちの父さんは、地元の会社に勤めている。
駅で切符を買う父さんの後ろから、母さんは付いてもいないホコリを払うよ
うに、父さんの肩をソッとなでた。父さんは振り向き「昨日のチョコ、
オイシかったよ」と言った。何故か母さんはポッと顔を赤らめて
「ホワイト・ディ待ってますから」と言う。
遠慮して、私はソッと二人から離れた。私は思った。
<なるほどホワイト・ディか。白いネバッコイものね>
やがて電車の時間が来て、父さんは雑踏の中に消えていった。
母さんと二人で、さみしく帰路についた。早道と駅前の裏道りを歩いた。
すると古びたラブホテルの入口で、中年の男女がモジモジしていた。
私たちがその前を通り過ぎようとすると、慌てて中へ入って行った。
私は振り向き、見ようとすると母さんは私の袖を強く引っ張り
<そんなもの、見るんじゃナイノ!>という様に怖い顔で私を睨み付けた。
叱られた様で私はシュンとなり、しばらく二人は無言で歩いた。
ふと空を見上げたら、ツガイであろうか、二羽の白鳥が北に向って飛んで
いた。うつむきかげんの母さんにソッと教えた。母さんは足を止め、白鳥が
見えなくなるまでジッと見つめていた。
母さんの顔をソッと覗いた。母さんの目には涙がイッパイ浮かんでいた。
父さんを乗せた列車は、今頃どこまで行ったろう・・・・・。
また静かに春雨が降り出した。