賛否両論あったようですが、続きを書かせてもらいます。子ども時代の、強烈に
印象に残っていることをつなぎ合わせ、多少色づけをしていますので、その点
お含みおきいただいて、お読みください。
3日後、また医者がやって来る日が来ました。子どもの目から見ても、母は朝から
落ち着きませんでした。そして、何度か便所に行っては、浮かない顔で戻って来ました。
それから、いつもの朝の支度には多すぎるお湯を、かまどで沸かしていました。
後ろ髪を引かれながら、私は学校へ出かけました。学校に着くか着くかないかの
ところで、私は習字道具か何かを忘れたのに気がつきました。私は、家に取りに戻る
ことにしました。家に着くと、私は母に見つからないように、そっと取りに入ろうとしました。
中をのぞき込むと、母は、台所の板の間にしゃがみ込んでいました。モンペと
パンティがわきに脱ぎ捨てられていて、下半身だけ裸で、大きめの金だらいをまたいでいました。
母は、陰部をのぞき込むように、手を前にして、満たしたお湯で
陰部を洗っているようでした。手を往復させて、ていねいに洗っていましたが、
背中側でいる私にも見えるように、尻の割れ目に沿って後ろの方まで手をすべらせ
始めました。肛門も洗っているんだと思いました。そのうち、手が止まり、指が1本、
尻の肉に消えていくように見えました。肛門の中に指を入れたのが、離れてても
分かりました。母は。「はぁー。」と、ため息をつきながら、指を何度か出し入れしていました。
陰部洗いが終わり、ていねいに拭くと、母は新しいパンティを穿きました。
それから上に着ているものを全部脱ぐと、新しいお湯で、上半身をていねいに
拭き始めました。豊かなおっぱいがゆさゆさと揺れていました。こするように
手ぬぐいで拭いた跡が、ピンク色に変わっていきました。それが済むと、ブラジャーは着けず、
パンティ1枚だけの素肌の上に、寝間着をつけました。
母が脱いだものや金だらいを片付けているすきに、私は家にもぐり込みました。
そのときには、もう学校に行く気持ちはなくなりました。後日、先生と母に、
学校さぼりを叱られたときには、忘れ物が恥ずかしくて、神社で隠れて遊んでいたとごまかしました。
当時の農家は貧しくても、家は広く、子どもがひそんでいられる場所は充分
ありました。果たして、医者がやってきました。前回よりも早い時刻でした。
私が学校から戻ってくるまで、たっぷり時間を取ろうというつもりだったのでしょう。
母は医者を中に入れると、玄関に錠をかけました。これで、私も家を出ることは
できなくなり、覚悟を決めました。