皆さんの投稿を読ませていただきながら、私も子ども時代のことが
よみがえってきましたので、書いてみようと思います。
それは、私が小学校の2・3年のころだったと思います。私の故郷は田舎の村で、
学校も分校といった感じのものでした。父は、私が小学校に上がる前に亡くなり、母子家庭でした。
ある日、私が学校から帰ると、医者が来ていました。母は数日前から具合が
悪くて、床についていました。その医者は、落ち着いた50前といった感じで、
隣村から来て、周辺の2・3の村の住民を診てまわっていました。
私が玄関を上がって、居間に続くふすまを開けると、母は寝間着の下半身を
まくられて、両ひざを立てていました。そのとき36~7歳だった母の、豊かな
尻から太股にかけての肉がまぶしく輝いていたのが印象的でした。
「あっ、俊ちゃん。」 私が居間に入ってきたのに驚いた母は、寝間着の裾で、
露わになった下半身を隠そうとしました。
「動いちゃいかん。」 医者は、母の立て膝の間に座る形で、母の陰部に手を添えていました。
尿器を当てているところでした。
「さあ、もういいかな?」 医者は、母の陰部から尿器を離すと、陰部をガーゼで拭き、
ガラスの尿器を電灯に透かして見ました。
「だいぶ良くなったみたいだな。とし坊、見てごらん。お母さんのオシッコ、
きれいだろう。」 そう言って医者は、私を招き入れました。私は吸い寄せられるように、
二人のそばに近づきました。
「いやっ、先生たら。」 母は恥ずかしそうに、両足を揃え、寝間着の裾を整えて、陰部を隠しました。
「まだ、診察が残っておるんだ。」 医者は、再び母の寝間着の裾を割り開きました。
萌え立つような陰毛が、私の目に飛びこんできました。
医者は、母の下腹部に手を当てると、こう言いました。
「便が溜まってるね。どのくらいしていないかね?」
「は、はい。この4日ほど…。」
「そりゃぁ、苦しいだろう。浣腸しておこう。」 そう言って医者は、黒い鞄の中から
太いガラス浣腸器を取り出し、準備を始めました。それは、私が母にされたイチジク浣腸とは違って、
迫力のあるものでした。