家に帰ると、母は方々に電話していた。そのうち村の診療所の先生が車でや
って来た。母は僕に「そこいらを片付けて」と言い、先生の車に乗って小屋
に向かった。
その晩、叔父さんや親戚等が来た。父は、顔に白い布をかぶせた祖父の枕元
で、しきりに同じ事を説明していた。「家内の言うには、二人で畑仕事を
していると、じいさんが具合が悪いと一人で小屋に入ったそうだ。何時まで
も来ないので見に行ったら、小屋の中で倒れていたそうだ。先生の言うには
心筋梗塞だと。じいさんを死ぬまで稼がせて、死に目にも会えぬ俺は、ほん
に親不孝者だ」と言って父は泣いていた。
僕は思った。あれは腹上死だと。木小屋にあった雑誌にそんな事が書いて
あったのを思い出した。聞けば祖父は、心臓が悪くて以前より、診療所から
薬をもらって飲んでいたとか、
母は知っていたのだ。知っていて祖父を犯したのだ。これは殺人にならなの
か?そんな事を思ったものだ。しかし考え様では、祖父は幸せ者かも知れな
い。男として、やりたい事をしながら、それも「極楽だ」と言いながら本当
に、あの世に逝ったのだ。癌で苦しんで死んだ祖母に比べれば、祖父は
大往生だと。それにしても、女は恐ろしい。涙は女の武器などと言うが、
本当の女の武器があんな所にあったとは。男の生き血を吸う恐ろしい武器
を。
しかし、母はその武器で、かたきを立派に取ったのだ。いつかの恥辱を晴ら
したのだ。
次の年の春、母は可愛い女の子を産んだ。僕にはだいぶ歳の離れた妹だ。
父は「孫が出来たようだ」と、たいそう喜んで可愛がった。母はそれを見て
ただニコニコ笑っている。僕は思う。もしかして、祖父の子かもと。いかし
分からない。ましてや父は分かるはずもない。知っているのは母だけだ。
女は、恥かしがり、うぶな素振りをして、何も知らないふりをしているが
実は何でも知っているのだ。それに比べ男は、何での知っている様に威張っ
ているが、不確実なものを確実なものと信じているだけではないのか?
彼女と寝ながら、ふと、そんな事を思ったり、この女を本当に信じて良いの
か、と思ったりする。彼女と事が終わったあと、何故か耳の奥に、むかし
木小屋で聞いた、降るようなセミ時雨が聞こえる。
僕の女性観は間違っているだろうか?世の諸先輩の意見は如何に。