父の病死後2年、私が高2で母が41歳の時、26歳の太田と言う男と3人で暮らし始めました。
当時、工場勤務の太田は賃金が良いということで夜勤をして、私が起床する7時半頃に帰宅していました。毎日帰宅した太田は母を思いっきり抱きしめて体を弄りながら、音をたてて濃厚なキスしていました。
私が洗顔している横で太田は風呂に入るべく裸になり、そそり立ったペニスを下に押し下げ手を離しパチンと腹を打たせて「これが由美子(母)のご主人様や!」と笑っていました。太田はガリガリだったが、ペニスは優に20cmはあり、亀頭部もLLサイズの鶏卵程の巨根を持っており、初めて見た時は私も目が釘ずけになりました。
私が朝食をとっていると、時々、風呂場から「おーい」と声がし母が飛んで行くと「お前も入れ」「しんがまだいてる」と小さく言い争いになりますが、太田のそそり立った巨根を見せ付けられ、いつも母が裸になり始めるのでした。高知生まれの母は浅黒い肌で、一見ほっそりとして見えましたが、外人並みに大きな乳房と尻をしており、少しも垂れ下がっていませんでした。当時よく同級生や先輩から母の下着を持って来いとか、風呂場を覗かせろと言われていました。
ブラジャーを外すとラグビーボールを半分に割った様な巨乳が現れ、少し黒ずみ大きくなった乳首がいやらしい。向こう向きで前屈みになり、尻に食い込ませた水色のTバックを下ろし足から抜く時に、これから太田に拡げて喰われ、巨根に貫かれる、生殖器の割れ目奥の赤身と薄茶色の肛門が見えました。
半透明の風呂の扉に太田が野獣の様な唸り声上げながら、母の乳房を揉み吸い着き、片手で尻の肉を鷲つかみにしているのがわかりました。太田に貪り喰われながら母は巨根をしごいていました。一通り母の肉を貪った太田は母を跪かせ、巨根をしゃぶらせるのだが、太田はいつも母に手を使わせず、口だけで奉仕させていた。
食事を終えてトイレに入り、自室へ戻り準備を終え出かける時にもう一度、風呂場を見ると母がのろのろと立ち上がり、浴槽に縁に手を着き、太田がそそり立った巨根を押さえながら母の尻にあてがっていました。「いよいよやるな!」と思った瞬間、太田が母の尻を引き付けながら、一機に根元まで刺し貫いた。「うっおおっ」と呻き、母の体が横から見てU字型に反り返る、見事な一突きだった。
後は、太田の強烈な一突き毎に母の体がガクッ、ガクッと突き動かされ、母の傍若無人な喘ぎと太田の獣じみた息使いが響いていました。
毎日こんな具合でしたが、今思えば普通の新婚さんでもこれ位のSEXはするし、熟れきった体を太田と言う巨根に慰めてもらえた母は幸せかも知れません。