小学校の時代の話。隣の家は小さな町工場をやっていた。
町工場仲間で持ち回りで、定期的に会合があるらしかった。
3年生の夏休みのとき、隣の町工場の奥さんが入院していたらしい。
母はその持ち回りの会合の料理の接待の代役を頼まれたのを、引き受けた。
僕は、その日は母と買い物に(当時デパートの屋上が遊園地なので)
行くのを楽しみにしていたのに、反故にされ拗ねていたのを覚えている。
何とか早く終れば連れて行ってもらえるかと思い、様子見を頻繁に
していた。
会合が終りかけて帰り始めた人が出始めたので、僕は影から様子を
覗っていた。 町工場の会合は全員男性だった。 酒のせいで、足元が
おぼつかない人もいた。
会合も終りかけた頃、一人は母に握手を求めていた。母はその求めに
応じていると、次から次へと握手していたら 肩を抱くようにする
男の人から、「一緒に飲みましょう」と誘われて母は残っている6人
位と畳に座って飲み始めた。 僕はデパートに行けるかと期待していたのに
「早く終われ」と考えながら工場から座敷を覗いていた。
そこで見た光景の意味が解ったのは、僕が大人になってふと子供の頃を
懐かしんだ時に記憶が甦り、その光景を分析した時だった。
母は、酔った男たちに酒を勧められながら感謝の言葉を受けた。
そのあとは、マッサージとして肩を揉まれていた。そのうち3人が
それぞれ、肩 腕 足を揉み始めた。座布団を5枚位重ねた上にすわり
マッサージされていたが、母が「もういいです」と笑いながら断ったのを
眺めていると、5人で(マッサージ)されていた。
但し、手は胸とワンピースのスカートの中に入ていたのが不思議だった。
そのうち、胸のボタンが外れ、脱がされそうになったパンツを必死に
抑えてる母の姿を眼にした。
重ねてあった座布団が崩れて母はその上に寝てなお、子供の目には
「マッサージ」を受けてる母の姿と笑い声?あった。
そのうち男たちの歓声が上がったときは母は「だめ、お父さんに叱られる」
「もうおしまい」「おわり、おわり」と言っていたが、僕には何故父に
叱られるという言葉が出るのか理解できなかった。
そのうち母は「そこだめ、ほんとにやめて」「やめアー」「だめアー」
「ずるいアー」「おァー」「すごーい」「でもやめてアー」という、
今までに聞いたことの無い言い方をしていた。
以後記憶にあるのは、男たちが下半身をむき出しにしていたこと、
「若いモンはあと」という男たちの笑い声。
終ったあとの母の裸の身体に掛けられたバスタオル姿。母が言った
「按摩してもらってた」という言い訳。隣の町工場の親父に言った
「お父さんにばれると大変」というせっぱつまった会話
そのあと、母は身体を拭いたタオルを細かく刻んで捨てていたのを
不思議な光景として記憶にある。
母には僕がその光景を覚えているとは生涯言わないつもりだ。