今振り返ると自分の厳しい母も女でした。
前述の風呂の件があってから僕が楽しみにしていたプラッシー(当時流行のジュース)の配達で酒屋が台所に運んできた。
(以前は玄関に置いていたような記憶がある。)当時学習机ではなくお膳で
母と向かい合わせで「夏休みの友」という宿題をやっていた(と思う)。
その母に酒屋が母の肩を揉みながら話しかけていた。母「凝ってないから」
と酒屋「うまいから大丈夫」みたいなやりとりと、いつも母が僕に「肩凝ったからたたいて」と揉ませる矛盾みたいなものを感じながら会話を聞き流していた。酒屋「気持ち良い?」母「うん」といった自然の会話に初めは何の
違和感も感じなかった。僕が顔をあげるきっかけになったのは無言が続いた
からだ(と思う)。肩を揉んでるはずの酒屋の手が当時夏服の襟元から母の胸に手が完全に入って母が必死にその手が動かないように洋服の上から、
胸元に入った酒屋の手の動きを押さえつけようと手をクロスしながら抵抗
いていたようだ。印象深いのは、僕に怒る母は必ず何か言葉を発するのに
無言で目を閉じて上半身だけを動かし嫌がっている素振りは子供の僕には
何か奇妙な光景だったのでよく覚えている。
大人になった今酒屋の立場では先日の母が入浴中の件を父に報告できない性格を見抜いての強気の攻撃は妙に理解できる。
母は性的攻撃を受けていることを子供の僕に知られたくのと、同時に厳しい父に伝えられると困るのは大人になった今はわかるが当時はごく自然な
「母は美人だからもてるんだ」ぐらいの優越感はあったかも知れないが性的
な感覚は全くなかったと思う。ただ単にその光景を眺めていた。
今度は母の「もういいから」「ほんともういいから」の連続に僕はいつも長く肩揉みをさせられた自分にはもったいないような気がしていた。ただ母の
「もういいから」の連続のあとに「はっ」とか「きゃっ」が小さい声で発するのと「もういいから」の声がいつもの母の声と比べて違うものを感じて
母を見た。それは正座して揉まれている母の作り笑いと「おじさんくすぐるから」といういい訳、その背後の酒屋の本当の笑い顔が奇妙に記憶に残っている。母が揉まれていた乳房がむき出しになっていた記憶があるが残念なことに母が上半身裸にされるまでの細かい光景は記憶に残っていない。
母が酒屋に抱えられて奥の和室に連れて行かれたとき悲鳴を上げずに「大人の話してくるから」と言う冷静な言葉と反対の引きつった顔、初めて見たいつも優しい酒屋の母を抱っこした怖い顔が印象に残っている。
和室は閉められた。ただ襖一枚先の和室から聞こえるドスンという音と母の
悲鳴らしき声にさすがの僕にも「大人の話」には聞こえずに僕は問いかけるように「お母さん」と声をかけた。すると母の「大人のお話中は来ちゃだめよ!」という返事に安心した記憶がある。
その僕の記憶では酒屋は何事もない様に僕に挨拶して返っていったと思う。
記憶が鮮明なのは酒屋が帰ったあと母が出てこないので和室にいったときの
ことだ。 和室に入ると和室では母の下着姿とか上半身裸は見たことあるが
このときは全裸でしかも上向きで寝て母が自分の右腕が両目を隠す姿で寝そべっている。しかも無言で寝ているようだ。<これは僕がいつも母にしから
れる態勢>なので異変を感じたと思う。僕は「お母さん!」と声をかけると
母は放心したようにゆっくり上半身だけ起き上がり「お母さん寝てたかな?
」といったがこれには僕もおかしいと思った。その後けだるそうにタオルを
濡らして身体を拭いていたのも変だったし、そのタオルをゴミ箱に捨てるのも変だったし、脱いだ(脱がされた)パンツをハサミ切り裂いて捨てるのも
変だったし、新しい下着をだしながら小声で「おとうさんに悪いことした」
と独り言いいながら僕には「お母さん寝てたみたい」と言ったのは子供の
僕にも何か変だった。
大人になった今、あのときこれだけで終われば(当時教育熱心な母のためにも)記憶も消え、書き込みしなかったであろうが、この後日おきた事は、いまだこの事を知らない健在の父のためにも書くのをやめようか、それとも老いてきた母の体験を書き込み、多数の性の興味の対象にすることによって影でかつて自分の母が近所の憧れの女であったことに僕の喜びと満足にしようか考えてます。みなさん昔話は飽きますか?