卵みたいな顔してた2歳年下の元カノは、私は23歳から2年間付き合っていました。
社会に出て最初の彼女で、学生時代の彼女と違って結婚を意識していました。
素直ないい娘で、ちょっと垢抜けないところが可愛かったです。
華奢な身体で、私の脈打つ陰茎を見て「キャッ」って驚いたほど純情な生娘でした。
貧乳がコンプレックスだったようで、
「おっぱい可愛いよ。」
と言ったら真っ赤になってました。
陰唇がほとんどない超美麗な股間で、陰毛も薄くて中学生みたい身体でした。
クンニするとモジモジして、感じて声が出てしまってすごく恥ずかしがってました。
歯を当てないようにするフェラを指導、上手じゃないけど愛情は感じました。
処女膜が破れたとき、流した涙を「うれし涙」と言ったのを忘れません。
やがて元カノは性感を覚え、快楽の渦に呑み込まれていきました。
快楽に身を委ねることで羞恥から逃避し、自ら腰を振って快楽を求めるようになりました。
恥ずかしがってた騎乗位も喜んでするようになりました。
騎乗位でも乳房はブルンブルン揺れるんじゃなくプルプル震えました。
会うたびお互いを求め合って激しく愛し合っていたから、元カノの股間には陰唇が育ち、紅く色づいていきました。
交際2年、23歳の元カノは親が決めた相手とお見合いさせられ、私との交際を禁じられました。
密会していたら興信所の調査員に見つかり、元カノは連れ去られました。
お別れはメールで、
”ごめんなさい。さようなら。あなたは、幸せになってください。”
私は返信できず、閉じた携帯を胸に当てたままゆっくりと膝から崩れ落ちました。
その後私は、1年くらい恋愛できませんでしたが、言い寄ってきた妻と向き合うことで、元カノを忘れようとしました。
でも、元カノのことは忘れられないまま、思いを寄せてきた妻と結婚しました。
ムチムチでプリプリの妻の方が、客観的に見れば、華奢な元カノよりいい女ですが、やっぱり、処女をくれた元カノとの恋愛は、忘れることができませんでした。
元カノから最後にお別れメールが来てから11年、あるところで元カノと再会し、少しの間だけ、同じ時間を過ごすことができました。
11年過ぎて、お互い30代になってて、お互いの素直な気持ちを伝える事ができました。
もう、戻れないところへ来てしまった二人でしたが、ほんのひと時、幸せな時間を過ごすことができました。
「私の人生にあなたがいてくれたから、それを支えに生きて来れた。あなたに出会えて、本当に良かったと思ってる。」
「俺もだよ。自分より大切な人に会えたから、君の幸せを祈れるんだよ。」
こんな会話をして、11年前に言えなかった「さよなら」を言いました。
なんだか、やっと元カノとお別れができたような気がしました。
自分が抑えられなくなるのが怖いから、ラインの交換などはしませんでした。
じゃあね、と去ってゆく元カノの後ろ姿を見つめながら、好きな気持ちを抑えていました。
私は、元カノが最後のメールで願ってくれたように、幸せになろうと思って生きてきました。
だから、妻と巡り合えたのかもしれません。
元カノの後ろ姿にもう一度お別れを言って、私も元カノに背を向けて歩き出しました。