この3月いっぱいで定年を迎えます。
先日行った年二回の東京出張も最後、毎回日帰りでしたが、あることをきっかけに翌日休暇を取って一泊しました。
そのきっかけは、昔の部下が開いてくれたささやかな送別会、居酒屋の個室で呑んでいると有線の音楽が聞こえました。
♪ あの頃二人のアパートは 裸電球眩しくて 貨物列車が通ると揺れた 二人に似合いの部屋でした・・・
それを聞いて、そうだ、大学時代に暮らした街を訪ねてみよう・・・と思い立ったのです。
40年前、青春時代を過ごしたあの街、お互い処女と童貞で初体験した同じ大学の女子大生と半同棲状態で暮らしたアパート、今、どんな街になっているだろうか・・・そんな思いでした。
仕事を終えてホテルへ泊まり、翌朝、大学時代を過ごした街を訪ねました。
40年前とは様変わりした駅では、他の会社線や地下鉄が相互乗り入れしていて、乗り換えなしで様々なところへ行けるようになっていて驚きました。
街の様子はすっかり変わり、住んでいたアパートの位置さえわからなくなっていたとき、40年前とほとんど変わらない商店街のアーケードの入口を見つけたら、そこから一気に記憶が鮮やかに蘇りました。
私の住んでいた2階建ての木造アパートは、当然ながら建て替えられていました。
○○荘がコーポ○○になっていただけなので、すぐわかりました。
駅周辺は様変わりしていましたが、アパート周辺と商店街までの道のりは昔の面影を強く残していて、懐かしくて涙ぐんでしまいました。
あの頃の私と彼女、静子という小柄で華奢なメガネをかけた可愛らしい娘でしたが、月に数回、その静子と二人でモーニングサービスを楽しんだ喫茶店がまだあったので入ってみました。
40年前のままの内装でしたが、当たり前ですがマスターは私より若い方に変わっていました。
コーヒー付きのエビピラフを注文して、腹ごしらえしていると、いつも座っていた角のテーブル席にあの頃の二人が見えるような気がしました。
「静子、授業は何時まで?」
「私は3コマ、隆夫は4コマでしょ。今日は私の部屋においでよ。夕ご飯、作っておくから。」
「じゃあ、そうしようかな。」
そんな会話が聞こえてきそうでした。
授業を終えて、静子のアパートに上がり込むと、私の下着と着替えが玄関先に用意してありました。
静子のアパートは私のアパートより300mくらい駅に近く、ロケーションがいいので私のアパートと同じくらいの家賃でしたが風呂なしで、近所の銭湯に行っていました。
私のアパートは駅から商店街を過ぎて住宅地を通るから夜は暗くて人通りが少なく、女の子の一人暮らしには不向きでした。
静子と二人で銭湯から戻る途中で缶ビールを買って、夕食時に飲みました。
その後、布団を敷いて、抱き合い、口づけを交わし・・・華奢な静子を裸に剥いて、女陰に指を這わせて濡らし、コンドームを着けて一つになりました。
静子は、喘ぎ声を必死で抑えていましたが、耳元で愛の言葉を囁きながら、付き合いの中で少しずつ把握していった静子の感じやすい場所を突いていくと、
「ああ・・・ああん・・・」
恥ずかしい声が漏れ始めると、もう、堰を切ったように、
「ああっ、ああっ、あんあん、あんあんあん・・・」
隣の部屋のテレビの音が漏れるくらい薄いアパートの壁の向こう側に、確実に聞こえているであろう静子の喘ぎ声が部屋中に響きました。
昭和50年代前半、ウーマンリブだのフリーセックスだの騒いでいた少し後の時代でしたが、まだ、結婚前の男女が公然とセックスすることは後ろめたかった時代でした。
小柄で可愛らしい女子大生が男を連れ込んで発した喘ぎ声は、隣室の住人には不埒な振る舞いをする今時の女と見られたでしょう。
静子のアパートに寝泊まりするのと、私のアパートに寝泊まりするのは平日は五分五分でしたが、週末、金曜の夜から月曜の朝まではほとんど私のアパートで過ごしていました。
私のアパートで過ごすときは、風呂があったからセックス前に女陰と男根を清めて、クンニとフェラをたっぷり楽しんでいました。
清純そうな小柄の可愛らしい静子が股を広げて女陰を開かれて、ペロペロ舐められて恥ずかしい声を上げているなんて、故郷の親御さんは想像もしていなかったと思います。
そして、性に興味津々の大学1年生のカップルが、恥じらいながら女陰と男根を晒し、緊張しながら触れ合い、恐る恐る合体してみた、愛し合う若い男女が思いを遂げたあの時の感動が思い出されてきました。
セックスは、静子にとってはお互いの愛を確認し合う神聖な儀式でしたが、私にとっては好きな娘の裸を眺め、好きな娘の女陰を弄り、猛り狂った男根を出し入れして射精の快感い浸るという、性右翼処理の側面もありました。
しかし、静子にも少しずつセックスに快感が伴うようになると、その快感に戸惑い、自分の反応に恥じらい、それでも波のように快感が襲い掛かってくるまでに性が開発されてくると、次第に快楽に身を委ねるようになっていきました。
大学も3年になると、学友の何人かは、週末は私のアパートに静子がいて、セックス三昧だということを知ると、若い後輩を連れて私のアパートの新聞受けから中の様子を覗き見する輩もいました。
ある日、正常位で静子を揺さぶっていたら、新聞受けから私達のセックスを覗いている事に気付いたのです。
喘ぐ静子の華奢な裸は数名の男達に見られたと思うと、悔しいだけでなく、キャンパスでは清純そうに振る舞う小柄で可愛らしい静子を喘がせている男として自慢したくもありました。
ある週末、新聞受けに当時では珍しかった乾式コピーのトナーを塗っておきました。
すると、翌週、学友の一人の指と爪の間にベッタリと黒いトナーがあって、犯人が特定できました。
その学友は極めてオクテな男で、十中八九まだ童貞と思われ、同類の友人数名とつるんでいました。
今で言うとオタク系で、ちょっとアブナイ感じがした男でした。
3年が終わる頃、その男達が覗いているのがわかったので、思い切って静子を抱え上げて騎乗位にして、華奢な静子の裸を思う存分楽しませた後、今度は結合部を玄関に向けて、激しい出し入れを見せつけてやりました。
静子の喘ぎ声がこだました極めて淫らなセックスを披露したら、それを最後に覗きが無くなったことも思い出しました。
喫茶店を出て、
静子のアパートがあった前の道を通って駅に向かいました。
大学を卒業する時、お別れ前に静子が誘った最後の旅に出かけた事を思い出していました。
アパートの荷物と共に一度実家へ戻り、卒業式のために再度上京して静子と落ち合い、卒業式の後、鎌倉に宿を取って最後の旅行をしました。
和風の旅館で、差しつ差されつ酒を飲みながら、4年間の思い出話で泣き笑いしました。
話が尽きる頃、二人は黙って頬杖ついて、
「本当に、さようならなんだね・・・」
「ああ・・・楽しい学生生活も終わった・・・全て思い出・・・」
抱き合い、最後のセックスをする時、クンニしながら4年前と比べて変色した静子の女陰を眺めながら、何回セックスしただろうと、静子との性生活を思い出していました。
いつか、この女陰が俺以外の音尾の者になる日が来る・・・たまらなく切なくなりました。
翌日、鎌倉を散策した後、午後、上野駅からそれぞれの故郷へ向かう特急に乗り、別れました。
「元気でね・・・」
「静子もな・・・幸せになれよ・・・」
それぞれの特急が待つプラットホームへ向かいました。
最後、振り返り、手を振った後は、お互いの姿は見えなくなりました。
そんな思い出を胸に思いおこしながら、私は上野駅へ向かっていました。
そして、40年前と変わらぬ在来線の改札の日が降り注ぐ天井を見て、改札を抜けて、ああ、そう言えば私の故郷も静子の故郷も、今は新幹線しかなかったなあ・・・あの頃の特急はもうないよなあ・・・と今更ながらに気が付き、一人、地下の新幹線ホームへ向かいました。
故郷へ向かう新幹線の中、トンネルの中で窓に映った自分の還暦の顔を見て、40年前の思い出に浸る自分が可愛く感じました。
そして、静子も還暦を迎えているなあ・・・どんな可愛いお婆ちゃんになっているかなあ・・・そう思うと、40年前の元カノの幸せを信じずにはいられませんでした・・・