俺の高校の通学路途中に、伯母の家があった。
伯母と言っても母の兄の奥さんなので血は繋がっていなかった。
下校途中、何度か伯母の家で雨宿りしたり、そのまま夕飯までご馳走になって伯父に車で送ってもらったりしたこともあった。
伯母達の子供である従姉が大学生で東京に出て寂しいからか、俺はとても可愛がられていた。
俺が高校2年になると、伯父が単身赴任になり伯母が一人になってしまった。
伯父は月に1回しか帰ってこないので、きっと伯母は身体が疼いて、俺を誘惑したんだと思う。
伯母の年齢は母の2つ上で当時44歳、俺は17歳だった。
わざとらしく伯母が胸の谷間を見せたり、スカートから太ももを出したり、しまいにはパンチラまでしてきて俺のズボンにテントが張った。
「トモ君、おチンチンおっきくしちゃって・・・伯母さんが慰めてあげようか?」
ファスナーを下ろされてチンポを握られ、
「まあ・・・トモ君のおチンチン、おっきい・・・」
三擦り半でドピュッと射精してしまった。
「お風呂で綺麗にしましょ・・・」
伯母さんと二人でお風呂に入り、その後布団でクンニをさせられた。
初めて見たオマンコは紫色に割れてベロッとめくれていて、とても卑猥だった。
オマンコを舐めて濡れてきたら、クリを吸い気味に舐めるよう言われ、顎がつかれるまでクリ舐めをさせられた。
いつもお淑やかで優しい伯母さんの喘ぎ声だけで、また射精しそうなほど興奮した。
コンドームを被せられて、生まれて初めてセックス。
伯母さんのオッパイが揺れ、綺麗な伯母さんの顔が快感い歪むのが不思議だった。
一度射精している事と、ゴム越しな事で刺激が弱まっているにもかかわらず、3分で再び精液を搾り取られた。
それ以来、毎日のように伯母さんの家に行ってセックスしていた。
一軒家を締めきって、誰に遠慮することなく、学校帰りの夕暮れ、休日の真昼間、貪るように腰を振っていた。
「アアァ~~・・・オマンコいい~~硬くておっきいおチンチンでガンガン突いて~~」
と下劣にヨガっていた。
俺も若かったから、毎回2~3発は発射していた。
童貞を失ってから初めての安全日に、生まれて初めて生でセックスして、伯母さんのオマンコの中に射精した。
中出しがもの凄く気持ちいいものだとは知り、抜かず2発3発とやりまくった。
もう、伯母さんのオマンコ中毒になっていた。
俺は次第にコツをつかみ、伯母さんをイカせられるようになった。
伯母さんは、膣外射精を俺に教え込み、生セックスに興じるようになった。
3年生になると、3発でも満たされなくなると、伯母さんはエネマグラ(その当時はそれが何かは知らなかった)を俺のアナルに入れて、前立腺を刺激して強制勃起させ、4発目を強要するようになった。
俺が大学進学で東京に出る時、伯母はとても寂しがって涙ぐんでいた。
俺も、伯母の事を女として愛し始めていたから、別れが切なかった。
東京では、大学生活最後の1年になる従姉が出迎えてくれて、いろいろ面倒見てくれた。
従姉には1学年先輩の彼氏がいたらしく、俺が上京するのと入れ替わりに卒業して故郷に帰ったようで、寂しくて俺を誘惑してきた。
母娘で温味なんだなと思いつつ、わざとオドオドしながら従姉の餌食になった。
従姉の中では、俺の童貞を喰って、1年かけてセックスを教え込んだと思っているようだったが、俺は俺で、わざと知らんぷりして従姉にセックスを教わる体で、母娘丼を楽しんだ。
伯母と違って従姉のオマンコはピンクで、身体もピチピチだった。
俺は、伯母と従姉にすっかりお世話になって、女の扱いを身に着け、その後は臆することなく女を口説けるようになり、女漬けのキャンパスライフを送った。
その後、卒業後に帰郷して就職、その頃には伯父も単身赴任から戻り、従姉にも将来の夫となる彼氏がいて、何事もなかったような親戚関係に戻っていた。
俺は就職先で高卒の同期に一目惚れして口説き落とし、初々しい処女膜開通式をして、3年後に結婚した。
ウブな女を淫らに仕込む楽しさの中、一心不乱に快楽を貪った伯母が懐かしく思えた。
結婚して20年が過ぎ、ウブなお嬢さんだった妻も40代になって、思い切りセックスを楽しむようになっている。
今振り返って思うと、10代の男の子と40の熟女は最高の組み合わせだったようの思う。
盛りのついた若い男の子が性欲のはけ口を求めているとき、性の快楽を知り尽くして性欲旺盛な熟女がやりたい盛りの若くて硬いチンポでその疼きを癒すのだから、お互い有益なのだ。
先日、昨年亡くなった伯父を追うように伯母が73歳で亡くなった。
挨拶をする従姉の横顔に、俺が童貞を捧げた頃の伯母の面影を見た。
斎場に佇み、伯母ではなく、かつて愛した元カノとして別れを告げた。
そして、伯母との秘め事をここに掻き綴ってみた。