5年前、仁美さんという43歳の独身女性とメル友になりました。同世代だね、ということで話があい、メールを交換し始めました。一人娘なので、養子をもらうというつもりだったようです。臆病な性格なので、お見合いもうまくいかず、結局、いままで独身だったということでした。
私は既婚者だけど、相談にのるからねと、いろいろ話しているうちにエッチな話もできるようになりました。驚いたことにまだ処女とのことでした。大学時代につきあった彼と、ロストバージンまでいきそうになったのですが、彼も初めてだったらしく、結局うまく行かなかったようです。それで、なんとなく彼と気まずくなってしまい、彼が遠のいていきました。彼女のほうは、大学を出ても、彼をずっと待っていて、お見合いも断っていたようです。ところが、彼は別の女性と結婚してしまい、取り残されてしまった時には、すでに20代後半になっていました。それからのお見合いは、やはりうまく行かず、30代後半からはお見合いの話もなく、仕事は、公務員なのである程度任される立場にもなり、仕事にうちこんでいるうちに、いままで独身でずるずるきてしまったというのが真相のようでした。
直接、会って口にできないようなエッチな話もメールではできます。僕は上手だよ、とか閉経前に一度だけ女としての体験をしてみたら、と話をむけるとその気になりました。
それでも最初のデートは、逢ってお互い見合いのようなものでした。目元がぱっちりした丸顔の可愛い感じの女性でした。ぽっちゃりと言っていましたがむしろ細いくらいでした。ただ、どことなく不安で臆病な頼り気のない感じがありました。でも気に入ってもらえたようです。やさしそうだし、安心できそうと言ってくれました。
二度目のデートで、ホテルに入りました。2003年12月20日(土)でした。最初はラブホではなく一流ホテルでという彼女の希望で、彼女の勤務先とは離れたところにあるハイクラスホテルのスイートルームを予約しました。ディナーを一緒に食べ、二人の夜にワインで乾杯しました。緊張している感じをお酒でほぐしました。
でも、部屋にはいると、やはり緊張して、体はガチガチで、足はぴったり閉じていました。キスをしながら、バスローブのうえからやさしく体全体を愛撫しました。体の緊張がとけてきたので、バスローブを剥ぎました。子供を産んでいない体は、40代とは思えないほどの若い肌でした。乳房も張りがありました。さらに全身をやさしく愛撫するとようやく足が開いてきました。愛撫をしながら、指先で処女であることを確かめました。十分濡れてくるまでやさしくやさしく愛撫を続けました。口からあえぎ声がもれてきました。
気持いい?と聞くと、恥ずかしそうに、へんな気持といいました。股を広げて、指と舌を使って、クリトリスや膣口の愛撫をつづけました。ごちゃごちゃした膣口の奥はピンクの襞で閉じていました。さらにひろげるとぴとっとした感じで小さな穴があきました。その周囲のピンク色の肉襞が処女膜でした。胃カメラで喉の中を覗いているようなそんな感じでしたがとてもキレイでした。
クリトリスをちゅぱちゅぱ、膣口をちろちろと舐めまくりました。快感が高まってきたようです。もっと声を出してというと、ああっ、ああっという声が部屋に響くようになりました。ぷっくりと剥けたクリトリスも真珠のようにつややかに光り、膣口から透明な愛液があふれるように周囲を濡らしはじめました。十分でしょう。いれることにしました。
いいね、彼女の両足をM字型にして、あてがいました。一瞬、体を硬くした彼女でしたが、濡れていたので、あまり抵抗を感じなくて、すっとはまりました。あうっとのけぞりました。43年間閉じていた膣の肉襞はやはりきつく、私を締め付けました。でも、はめてからしばらく動かないでいたので、処女喪失の痛みも少なかったほうだったと思います。
痛い?と聞くと、クビをふりましたので、あとはじっくりじっくりと腰を動かしました。そのたびに彼女はあっ、あっと声をあげました。
気持いいかい?と聞くと、答えず恥ずかしそうにぎゅっとしがみつきました。ゆっくりゆっくり出し入れしていると私も気持よくなってきたので、つけようかと聞くとそのままでというので、そのまま出させてもらいました。終わって抜くと、膣口から精液が赤い血と混じってどろりと押し出されてきました。あわてて、ティッシュで拭きました。それでも少しシーツに赤いシミがついてしまいました。
終わって、腕枕をしていると、腕にあたたかいものを感じました。彼女の涙でした。痛かった?と聞くと、ううん、自然と涙がでてくるの、と恥ずかしそうに上目づかいで甘えたように言いました。少女のようでした。すすりなく彼女の背中をさすってあげました。しばらく抱き合っていると、お風呂に入ってきていい?と聞くので、いいよと言いました。
交互に、お風呂にはいってから、もう一度抱きました。今度は素直に足を開きました。膣口の処女膜は裂けて、見事に開通していました。指でGスポットをぐりぐりと刺激して、愛撫を続けました。もっとエッチになっていいんだよ、そういうと、恥ずかしそうに顔を赤らめながら、声をあげました。今度はかなり激しく腰を動かしました。20分も出し入れしていると、膣内部がじゅわーっと濡れてくるのを感じました。ジュボジュボという感じになってきました。
いっていいかい、いって、いって、再び、彼女の内部にはき出しました。終わって、腕枕をしたまま、裸で抱き合って眠りました。明け方にもう一度抱きました。今度は騎乗位と後背位と最後は正常位でフィニッシュしました。軽くまどろんで、目覚めると彼女は着替えてメイクをしているところでした。
私も急いでシャワーを浴びて、着替えをして、朝食バイキングに出ました。ちょっとふざけて、あーんしてと言ってデザートのプリンを食べさせてあげました。食後、私が先に部屋に戻りました。しばらくして戻ってきた彼女を抱きしめました。もう一度しようかというと、もう時間だからといいました。じゃあ、もう一度触らせて、ということで、指を下半身にすべらせました。が、ショーツがじゃまで指が入りません。ショーツの上からしばらく指でなぞるようにして、また逢おうねというとはいと返事をしたので、その日はそれで別れることにしました。
フロントで会計をすまそうとすると、もう奥様からいただいていますとのことでした。振り返ると、そのつもりだったから、と笑顔で言いました。ごめん、じゃあ次からは僕が出すからね、奥様、はい、お願いします、旦那様、腕を組んで甘えてくる彼女でした。その夜のメールはほんとにありがとう、大好きな○○へとありました。
彼女とはその後1ヶ月に1、2度づつラブホデートしました。毎回中だしOKでした。3度目くらいから、完全にいくようになりました。逝くときはぎゅーっと締まるのです。女の悦びを感じるようになり、最初の臆病な感じが消えて、とっても積極的で明るくなりました。フェラもとても上手になりました。職場でも変わったねと言われるようになったと、寝物語で話してくれました。私もこの関係がずっと続くといいと思いました。
半年が過ぎました。その日はつけてと言いました。初めてです。どうしたの?と聞くと、ちょっとあぶない日だからというのです。めずらしいなと思いながら、つけて2回終えました。いつものように、腕枕をして、頭をなでなでしました。すると、好きな人ができたの、と告白しました。驚いて話しを聞くと、4月から彼女の職場に転勤してきた職場の後輩だそうです。上司である彼女が仕事を教えているうちに、尊敬され、それで好きになられてしまってプロポーズみたいな告白をうけたようです。15歳年下だけど、あなたの若い時をなんとなく感じさせる人なの、最後のチャンスだからといいます。
私は既婚者ですし、彼女とは結婚できないことを承知でつきあってくれていましたし、彼女の仕合わせを考えれば、それが一番よい選択でした。じゃあ、これで最後だね、はい、いつ話したらよいか、もし私に反対されたらどうしようかと思い悩んでいたかもしれません。ほっとしたのでしょうか。ありがとうとしがみついてきました。見慣れた彼女の体の隅々まで愛撫して、最後は中だしで終えました。
勇気をありがとうございました。しあわせになります。ほんとうにありがとう、大好きな○○へ、それがその日のメールでした。なにかとても大切な宝物を失った感じでした。
エッチはそれっきりでしたが、メールはときどき来ました。向こうの両親が猛反対しているようです。28歳の息子の初婚の相手が43歳となると、当然反対するでしょう。そのたびに励ましました。できちゃった結婚もいいよ、40代の出産だって今はあるからとそそのかしました。そうしたら本当にできちゃったのです。3ヶ月後のスピード婚でした。結婚式は内輪に行ったので、当然、私は招待されませんでした。が、結婚しましたという報告や、男の子を出産したことなどを報告してくれました。高齢出産で大変だったようですが、がんばりました。おめでとうメールを送りました。その後も季節の変わり目や年賀状メールは届きました。
昨年の春、旦那が実家の家業をつぐということで、公務員をやめて一緒に郷里へ行くことになり、私と同じブラウザをやめて、メールも途絶えて一年近くなります。もうお話しても、多分、誰も迷惑にならないでしょうから、5年目の区切りとして、高齢処女体験を書かせていただきました。それでも心配なので、もちろん彼女の名前など一部は変えてあります。彼女が幸せに暮らしていることを心より願っています。