私は高校時代とある名門高校の卓球部員で、3年の時はキャプテンを務め、個人・団体ともインターハイや国体で活躍する事が出来ました。入部当初はとてつもなくヘタクソでいつもヘマばかりしていましたし、身長は小学4年生の平均と同じなのに胸だけは学校で1番大きいアンバランスな体形で、上達に時間がかかり過ぎるほどでしたが、男子部のOB出10歳年上の先輩が懲りずにコーチをして下さっていました。
コーチは大変優しくもあり、厳しい方でしたが、女子部員からはモテモテで、付きっ切りで指導を受けてばかりの私は他の部員からしょっちゅう虐められていました。またコーチは部員のお母さん達からも絶大な人気を誇り、レギュラーになれるかどうか?の部員のお母さん達からは接待攻勢を受け、身体で接待しなければいけない風潮もあり、私の母もコーチに抱かれた噂がありました。
卒業式の時に私は部活の活躍を認められ特別表彰され、そのお礼にと思い学校帰りにコーチに会いにアパートを1人で訪ねました。初めて男性の部屋に通されました。私は緊張で正座したまま1時間ほどお礼やら、思い出話をしていたのでしたが、コーチがお腹が空いたと言われ食事に誘われたのですが、なぜか断り帰ると言ってしまい立ち上がろうとした時でした。
私は不慣れな正座を長時間していた為うまく立ち上がれずよろめいて四つん這いになったまま動けなくなり、その時スカートが完全に捲くれ上がったうえ、お尻が至近距離にいたコーチの方を向けたままでしたからまともに卸し立てのピンクのパンティーを晒してしまい、殆んど挑発した感じになったのです。暫らくの沈黙の後コーチの指先がアソコに触れなぞり始めました。私はお尻を振って抵抗したつもりっだったのに逆効果で、パンティーを膝まで下げられると両手でお尻を押さえてアソコに舌を這わせて来たのです。初めは恥ずかしさと嫌悪感で一杯でしたが、アソコから何かが溢れ出すまでさほど時間は要らなかった様で、口では嫌がりながらも身体は完全に無抵抗になり、背後からブラウスの裾を引っ張り出されブラのホックを外され、そのまま仰向けにされると邪魔なほど大きい胸を露にされ口と手でいたぶられ、その間もアソコの一番敏感なところもいじられっぱなしでした。オナニー経験もなかった私には初めて味わう耐え難い快感に包まれ、相変わらず口では嫌がりながらも遂にハシタナイ声を発するまでになり、コーチはそれを待っていたかの様に裸になると大きいアレを私の口に入れて来ました。私は部活の練習と同じ様に言われるがままに舌を這わせ頭を動かし、咽喉の奥に熱いものを吐き出され飲み込まされたのでした。
私も全裸にされ再び仰向けにされるとアソコに私の唾液だらけのアレをユックリ捻じ込まれ、激しい痛みから逃げ出したい思いでしたがアレが根元まで収まると遠慮なく動き出し、あっと言う間に快感が上回り、挙句には様々なポーズで突かれた後アソコの奥深くに放出されたのを悟りました。
私自身途中から気づいていましたが一部始終ビデオで撮影され、コーチのライブラリーに加えられその後も関係を強要されましたが、私にとってコーチとの関係は望むところで、寧ろ私が積極的になっていったほどでした。数日後以前に撮影された何人かの部員のお母さん達や、部員だった先輩や同級生、更には在校中の後輩とのビデオを見せられ、その中には当然の様に母の淫らなシーンもあり、激しいショックと母に対するジェラシーを覚えました。反面、コーチを毎週1人占めしてる優越感を覚えたのでした。
破局は突然でした。女になって半年が過ぎた頃コーチのライブラリーは増え続いていたのでしたが、その中に私と入れ替わりに卓球部に入部した3歳下の妹の痴態があったのです。更に驚いたのは妹はコーチに抱かれる為に自ら誘っただけでなく、既に中学時代に経験を済ませていて、私より先に大人の悦びを知っていた事をビデオの中で暴露していましたし、私以上に大きい胸でアレを挟んでいたり、お尻までコーチに許していたのでした。
妹のお尻に入ったアレに不潔感を感じた途端特別妹に対しての感情は沸かなかったものの、一気に冷めていくのが感じられました。
その晩から毎週誰かに声をかけて貰いに街に出ては名前も知らない人に身を委ねていく自分になったのでしたが、コーチ以上に上手な人とは未だに巡り会えません。去年友人から紹介された人に嫁ぎましたが、今でも出来る限り街に繰り出しています。