私は現在29歳の男です。
この秋には結婚する予定です。
私の少年~青年時代の体験談をお話します。この話は私の婚約者にも話してい
ない(話せない)内容です。
私は10歳の時に父を亡くしました。その後は母と二人暮しです。
幸い母は医者であり、自活の道はありましたし、父の実家から援助もあり私た
ち親子は生活には不自由しませんでした。
父は亡くなる数年前から体調を崩して寝たきりでした。その頃幼少だった私は
母と一緒に風呂に入り、寝るのもベッドで一緒でしたが、父の死後もそれは変
わりませんでした。
父を亡くして2年後に私は小学校を卒業しました。最初の出来事は小学校の卒
業式を終えた日の夜に起こりました。いつものように母と一緒の入浴を終えた
あと母は私を全裸のまま寝室に連れて行きました。私をベッドに横にすると私
の股間のモノを握り、優しく撫で始めました。この時私には母のしていること
が解りませんでした。やがて私は身体の中が熱くなり、母の手の中に放出しま
した。生まれて初めての射精は母によって教えられました。
私が進学した中学校は中高一貫の私立学校でした。元女子校で私が入学する2
年前に共学化しましたが、私が入学した時も8割近くが女子生徒でした。母の
母校でもあり、この学校への進学を強く薦めたのも母でした。父のいない私に
とって母は絶対的な存在でした。むしろ父が亡くなったことにより母は私を自
分の思い通りに育てようとしている様子でした。元々、久美(ひさよし)と言
う女の子のような名前を私に付けたのも母でした。しかし当時の私にはそんな
母を疎ましく感じることもありませんでした。母に言われるままに、母の敷い
たレールの上を反抗することなく歩いていました。
中学入学後も母との入浴は続きました。浴室内では、時々私のモノをしごいて
射精に導いてくれることもありました。私の下半身は完全に母に管理されてい
ました。しかし私と母が身体の関係を持つことはありませんでした。
母も医者だけに、性に関する私への指導は一般の親子の垣根を越えたものでし
た。自慰を教えただけでなく、婦人科の医学書を私に見せて、女性の身体や生
理について詳しく教えてくれました。自分で薦めた進学とは言え、女子生徒が
多い中で問題を起こさないようにとの性教育の意味もあったのでしょう。実際
中学3年以降になると、身体の関係を持ったと噂されたカップルが何組かいま
した。噂が全て真実かどうかは判りませんが、そのうちの何人かは転校して去
っていきました。
「ガールフレンドはいても良いけど、高校を卒業するまでは身体の関係を持っ
てはいけない」とよく母に言われました。同時に「この約束を守れば高校卒業
後に素敵な女性を紹介し、その女性と身体の関係が持てるようにしてあげる」
とも言うのです。私も母の言いつけどおり、高校卒業までは女子との身体の関
係は持ちませんでした。もちろん噂にもなりませんでした。
私が高3の時、受験勉強のため母は私に家庭教師を付けてくれました。家庭教
師は当時27歳の薬剤師の女性のN先生で、仕事上母とも付き合いのある人で
した。1年間化学と英語を学び、翌年の春には私もN先生の母校の薬科大学に
進学しました。
高校の卒業記念として母は私がN先生と一緒に沖縄旅行をすることを許可して
くれました。母としては私とN先生が1年間家庭教師として接する事により、
互いの信頼関係を築く目的もあったようです。旅費は母が全額負担してくれま
した。
那覇市内のホテルで私はN先生と身体を重ねました。私にとっての童貞喪失で
した。
N先生との身体の関係は半年足らずでしたが、性の喜びや素晴らしさを教えて
もらいました。
私はその後も何人かの女性を経験しましたが、当時のことは一生忘れる事は無
いでしょう。