僕は恐らく世界一のマザコン。3歳の頃、「ママのお股のジャングルの向こうはどうなっているんだろう?女の子はチンチン無いって言うけど何も無いのかな?どうなってるのかな?」と疑問に思いママに問いかけると「見てご覧。女の子はチンチン無い代わりにチョンチョンがあるのよ。そしてアナタはここから産まれてきたの」と全てを教えてくれた。オシッコも見せてくれた。それ以来僕はママのチョンチョンの虜になり、チョンチョンペロペロしまくるわオシッコ、経血、オリモノ飲みまくりだわで、、、責任持って使命感に満ちてママ専門の女子トイレを勤めママのチョンチョンから出るジュースを1滴残らず飲み干す一方、休憩中や上がった後の時間もママのチョンチョンを舐めまくっている(無論その時間のオシッコだって全て飲み干している。)し、ママのチョンチョンそしてオシッコに関してワンシーンでも見逃したくないため自宅トイレには天井、壁、便器内と様々な所に盗撮カメラをしかけ、それを見て耽る事が多々あるほどのママのチョンチョン狂いだ。
そのため僕がママ専門の女子トイレとして一途な女子トイレとして働く一方、束縛女子トイレとしてママにもオシッコは全て僕のお口にするように求めている。他の男なんぞにチョンチョンを見せて欲しくないのさ勿論、出先の女子トイレでオシッコする事だって許せないのだ。僕がママのオシッコを全て飲み干したいだけでなく、自我を持たない便器と言えどママのチョンチョンを見てほしくないしママのオシッコを飲んで欲しくない。そういった独占欲は勿論のこと不特定多数の女性のオシッコを受け止めるそんじょそこらの女子トイレにママのオシッコを飲まれる事自体腹立たしいからだ。またオリシーやナプキンタンポンに対してもそういった嫉妬心を覚えてしまうのだから自分自身の行き過ぎたママのチョンチョン愛、ママ専門女子トイレとしての自覚にはもはや自分で自分に呆れるレベルである。
前置きが長くなり失敬。話を戻そう。
そんな僕も普通の女子トイレに憧れる事がある。それは単なるモノであり、ママに気兼ねなく思い切りオシッコをシュイシュイっ!とかけてもらえてオシッコチョンチョン拭き拭きペーパーをポイッ!とぞんざいに捨てて貰える事だ。普段ママにオシッコを飲ませてもらう時は「こうちゃん、不味かったら無理しちゃだめよ」「苦しかったらママの左のオシリをつねってね(それを言われると僕は必ずママの左のオシリを触る右手を離すのであるw)」等と優しく人間扱い、息子扱いされるので、無論それは当然ママの優しさを感じる事が出来嬉しいのだが、やはり女性にオシッコをかけられて興奮するので僕はどちらかというとマゾ。思い切り汚い便器扱いをされてみたいのである。
のっけから「うわ、、、汚い便器ね」とイヤな顔を向けられツバをかけられ、思い切りシュイシュイ!とオシッコをかけられぞんざいにオシッコチョンチョン拭き拭きペーパーをポイッと顔に落とされ、、、時にはタンポンを口に押し込まれオシッコの後のびよーんとしたオリモノをつるんと落とされ思い切りただの女子トイレになってみたいのだ。