私が母の下着に手を出したのが小学生2年生
それまでは、従姉妹のお下がり下着
幼稚園児の頃は、服も着せられてた。
家が貧乏だから母の実家からお古の衣類を貰ってた。
私には、兄がいたけど
私が産まれる前に父方の親類に預けられてた。
兄のお下がりが無いから
私は、母方から従姉妹のお下がり下着や服を着せられてた。
兄は、父似の顔だけど
私は、母似の女顔だから従姉妹のお下がり制服を
着てても違和感なかった。
私自信も女の子と思ってた。
母や叔母や従姉妹とお風呂に入ってて
私も大きくなったら下半身も母や叔母や従姉妹と同じになると思ってた。
遊び相手も近所の女の子とままごとなどしてた。
幼稚園で私は、先生から
貴方は、男の子だからお嫁さんになれないと言われて落ち込んだ。
それでも母は、お下がり下着や服を私に着せてた。
小学生になり服は、男の子の服を着せられたけど
下着は、そのまま女の子の下着
小学二年生になり母の下着に種類の違うタイプを見て
私が着てたお下がり下着は、母の下着と似たタイプだったのに
休みの日に母の着る下着が違ってた。
綺麗な花柄になってた。
ブラも新しく柄物になり
それまでは、ストッキングからパンスト
私は、子供の下着から大人の下着を着たくなり
最初は、洗濯籠の洗濯前の下着を着てみた。
私には、まだ大きかった。
それでもたまに母が出かけていない時に
母の下着を着て服も試しに着るようになり
デカパンだったのが小さくなってた。
柄物だったのがレースの下着や色もカラフルに
パンストの他にストッキングとガーターベルトも揃えられるように
母は、私がいても平気に着替えてたから
見てて着方も覚えた。
たまに和服を着るときに私に手伝わせるから
着物の着付けも覚えた。
普段の着物の着付け
1人で帯をできる着付け
兄は、小学生に上がる時に戻ってきて
ほとんど外に遊びに行ってた。
私は、ほとんど家にいて母の手伝いしてた。
母の下着が変わっていった理由は、当時わからなかった。
小学生の5年生の頃
夜中に目が覚めて父と母の営みを覗いてしまった。
母は、縛られて足を大きく開かされて
父が母のアソコにコケシを出し入れしながら
あの男のより気持ち良いだろと
母が許して貴方のが欲しいと
父は、コケシの出し入れしながら
母の口の中に入れて硬くしな
母は、口で父のオチンチンを
父のオチンチンがだんだん大きくなり太くなり
母の口の中に収まらなくなると
父がコケシを抜いて
母のアソコの中に挿入した。
母の喘ぎ声が大きくなり
父が逝くまでに何度か逝ってた。
母がオシャレして出かけるのは、父に言われて
他の男に抱かれに行ってるのを知った。
普段は、夜に帰って来るのが
たまに朝帰りする時もあった。
夜に帰ってくる時は、前に見たことをしてたが
朝帰りした時は、寝室で寝て出てこなかった。
父が仕事から帰るまで寝室
出てこれるはずがなかった。
縛られて柱に吊られてた。
アソコにコケシが挿入されてた。
私は、そんな母を見て私も父にされてみたいと
思うようになり
母が他の男のとこに行って留守の時に
母のタンスから下着や服をだして着て
鏡台で母の化粧品を使い化粧
母になったつもりで父のお仕置きされてる
妄想してオナをするようになり
隠してた縄を見つけると
母が縛られてたように縄をまき
コケシに跨りアナルに挿入するようなことをしてたら
母が何時もより早く帰ってきて
私は、見つかってしまい
慌てたからコケシをアナルの中に
痛くて泣きわめいてた。
私は、母に抱きかかえられて
コケシを抜いてくれると思ったら
母のお仕置きが始まった。
悪い娘には、お仕置きしないとね
コケシを出し入れされた。
痛さもそのうちに慣れてきて
痛みが気持ちよくなってきて
母が鳴くような喘ぎ声をだしてた。
母は、私の小さいオチンチンをお口で
母の期待より小さい
コケシを抜かないで
母は、私に跨り小さく勃起した私のを飲み込んでた。
母の中は、気持ち良かったが射精できなかった。
それでも私は、逝くことを覚えてしまった。
何度か母のお仕置きされた。
勃起は、しなくなって射精もしなかった。
先走りの透明な液だけ
従姉妹のお下がりで箱に入れたままになってた下着
ブラやシミーズなどやスカートやワンピースなどが解禁されて
小学六年性の時に従姉妹の中学の時に着てた下着や制服や体操服や水着
その他に叔母の若い頃の衣類も
母公認女装
母の御手伝いさせられて
母が男に抱かれに行った時
母の代わりに家事をすることになり
料理も教えられて
父や兄にも公認女装になってた。
私は、父の晩酌の時に女装して
父の膝に乗りお尻をクネクネ押し付けて刺激して
高校の時にやっと父のお仕置き挿入の願いがかなった。