小学生の5年の頃に母が好きでというかもっと幼い頃から好きでしたが。
押さな頃から「お母さん好き」と言うと「ありがと私も大好きだよ」とは
行ってましたがそれはあくまで可愛い最愛の息子という事だと思います。
5年になり「お母さん好きだよ」と言うと「分かったから早く寝なさい」。
全く取り合ってくれませんでした。
中学生に成りオナニーを覚え親の夜中にしてる所を盗み見をして「お母さんと
したい」「くそ親父め俺と変われよ」などと思ってました。
家が古く襖で仕切られた家です両親の部屋も襖です。
隙間があり部屋を明るくして父と母は夜の営みをしてます。
母の布団の方へ父が寄り掛け布団を足元に寄せてから寝巻きの母を裸にし
父も自ら寝間着を脱ぎ裸に成ります。
母が「お父さん未だよアソコ濡れてないからチンコを入れないで痛いってば」。
父は半ば強引に母の足を広げて母の上に重なり自分だけチンコを起てて入れようと
してます。
結局の所は無理に入れて腰を振ると母もだんだんと気持ち良いようで「お父さん
気持ちいぃ」ハァハァ言いながら「中に出して」と言われ父も「出すぞ」と言い
母のマンコに中出しをしてます。
因みに父のチンコ体と反比例で父のチンコは亀頭がデカく本体は細く長い上に
結構反り返ってます。
母は細いですオッパイなんか微乳でブラはいらないほどです普段からブラはしません
着てる服から何時も乳首が分かります。
パンツはパンティーとは程遠くおばさんがはくお腹もお尻もスッポリパンツでしまむら
使用の3枚幾らという安物です。
生地も薄く綿100パーセントのほゞ白ばかりです。
さすがにマンコまでは見えませんがマンコの毛は少なそうです。
背中とお尻は見えますがマンコまでは良く見えません。
母は何時もスカートかワンピースですから掃除や物を取る時には前屈みや足を開き気味
でしゃがんだりしてますからパンツは良く拝めます。
何度か見つかり「バカ息子のスケベ親のパンツみて楽しいの?」。
中学生に成るとオナニーを覚えました。
コッソリと母のはいたパンツが洗濯籠にあり風呂に入る時に持ち込んで裏返してから
マンコの当たる所にシミがあり見たり舐めたりチンコに巻きつけてから「お母さん」とか
言いながらチンコをしごいてました。
今でも覚えてます、偶々母と近くの当時はダイエーでした。
母が「おトイレに行って来るから待ってて」と言い2階のトイレに行きました。
俺もと思いトイレに入りました。
当時のダイエーのトイレは1つの部屋を真中から仕切り男と女に分けただけで壁は上まで
有りませんしかも個室の仕切りの壁と同じで当時は床と仕切りの壁の間には結構広い隙間
があり覗くと隣が見えました。
男の個室は女の個室を凸凹にして1っ箇所を使用してました。
仕切りの壁は一応男側からベニヤ板で塞いでありましたが穴が空いていて覗けば女の
個室が丸見えでした。
「母と行って初めて気が付きました」。
俺はそっと個室に入り下の隙間から覗きました当時は和式便器が普通です。
ドキドキしながらそっと床と仕切りの壁の隙間を覗きと便器はキン隠し側です。
母の足が見え便器を跨ぎ足を大きく開きオシュコの最中でした。
小さな女ん子のオシッコとは違いジャーと勢い良くマンコから出てました。
手を伸ばせば母のマンコに手が届く程の距離しかありませんでした。
あはりマンコの毛は薄くマンコの上の方にしか生えて無く丸見えでした。
マンコは広がり中まで丸見えでビラビラにオシッコが当たる度にブルブルとビラビラが
震えてました。
「やべ終わりだ出ないと」と思っていると未だしゃがんだままでお尻の穴が出たり
入ったりの繰り返し「今度はウンチか」力んでましたがウンコが中々でない様です。
ウサギの糞の様なコロコロとしうんこでした。
俺は静かに出て下の階で待ってました、母にトイレに行かなかった?と聞かれ行かないけど。
「あっそ」「早く買い物しないと」と言い買い物を済ませ帰りました。
まさかダイエーのトイレで母のマンコが拝めるなんて思ってもいませんでした。
「良い事に気が付きましたトイレを覗きに行けば女のマンコが見放題だと。
「母が好きじゃ無く母と言う名の女のマンコが見たいだけでした」。
「其れからは暇さえあればダイエーのトイレに入り暫くいて隣の女の個室を覗きながらチンコを
出してしごいてました」。
改装されるまでかなりの数を堪能オナニーをしました。