今、山々の木々が葉を落とし、まるで命の炎が燃え尽きるように紅葉が染まり、やがて静かな時を向かえる。
この先、何度この景色を見ることができるだろうか?
二階のベランダから沈む夕日を眺め涙する。
母と二人で生きてきて40年になる。
父と母が離婚したのは私が10歳のときだった。
昨夜は悲しくて苦しくて一晩中涙した。
認知症の母を施設に預けることにした。
数日後、施設の介護士さんに話した母の言葉を聞かされた。
「主人が仕事から帰ってくるから部屋の灯りは消さないで」
施設からの帰り道、人生の空しさに涙で街路路の落葉がにじんで見えた。
母は裕福な家庭に育ち、頭もよく地元では有名な大学にかよっていた。
在学中父と知り合い親の猛反対を押し切って駆落ち同然で一緒になった。
世間知らずの母にとって父の存在は新鮮に見えたのかもしれない。
その時すでに私は母のお腹の中にいたそうだ。
母は大学を中退し一緒になったものの父は仕事も長続きせず、酒とギャンブルに明け暮れる毎日だった。
そのために母は働き詰めの生活だった。
離婚した父は生活力も無く養育費すら払う甲斐性の無い駄目人間だった。
挙句のはてに借金まで残して逃げた。
母は生活保護を受けることを極端にきらった。
理由は最後まで知ることはできなかったが、両親や世間に対する意地があったのではないかと思う。
何の取り柄もない母には、昼も夜も働くしかなかった。
昼はスーパー、夜はコンビニと掛け持ちで働いた。
母の口から愚痴や父の悪口すら聞いたことはなかった。
母の強みは何事にも楽天的であったことだ。
天然なのか、子供心に何も考えていないように思えた。
母一人子一人、貧しいどん底の生活の中にも母の笑顔には救われた。
母は強かった。
私が学校でいじめにあっていることをどこで聞いたのか、学校に直接乗り込み校長先生に直談判したそうだ。
思春期になると、母のその笑顔が無性に腹立たしいこともあったが、面と向かって刃向かうことは出来なかった。
母に対して、私の反抗期など存在しなかった。
わたしに出来ることはひたすら勉強することだと思った。
母はそんな私をよくほめてくれた。
中学では勉強の成績だけは常に上位にいた。
高校は奨学金をもらいながら公立高校に進学することができた。
一番喜んでくれたのは母だった。
高校に行きだした頃から母の容姿に異変を感じた。
普通でも小柄な容姿の母が最近ますますやせ細ってきていた。昼夜と働き詰めに酷使してきた体に無理が来るのは当然のことだった。
私は学校に無断で夜はコンビニでアルバイトを始めた。
少しでも母の負担を少なくするためにも必要なことだった。
このまま母が病気になって倒れるくらいなら学校も辞めてもいいと思っていた。
このことを母に話すと涙を流して反対した。
私たちの部屋は築30年経つ1DKの風呂なしの民間のアパートだった。
安アパート住民は年金生活者ばかりだった。
貧しさの中にも、お互い助け合って生きていた。
冬の暖房はコタツ、夏は扇風機だけの節約生活だった。
母は冬になるとよく私の寝床の中に潜り込んできた。
冷え性なのか足が氷のようにつめたかった。
二人になってから冬になると同じ寝床で寝ることが当たり前のようになっていた。
小学校までは母の胸に抱かれるようなかたちで眠っていた。
中学生になると背丈が伸びその体勢は逆転した。
思春期になると、心とは裏腹に身体に知れない変化に襲われることがあった。
初めて経験するコンビニのアルバイトは、思ったほど大変ではなかった。
仕事を教えてもらい、接客することなどすべてが新鮮だった。
仕事仲間の30代の奥さんには、色々な意味でお世話になった。
あることがきっかけで男女の関係にまでなってしまった。
性に対して奥手の私には、最初の女性だった。
男女の交わりを手取り足取り教えてくれた。
思春期の男には渡りに船で、あっとゆうまに理解し実践できた。
彼女はその上達振りとスタミナに驚き歓喜してのめりこんでいった。
今思うと、人妻の彼女には手っ取り早い欲求不満の捌け口だったのかもしれない。
ある寒い冬の夜、いつものように寝床に入ってきた母に指摘された。彼女の香水の匂いが女の勘を働かせたのか、ずばり指摘された。
問い詰める母の悲しい顔に、自分の軽薄さに後悔した。
相手が人妻であることを母は心配した。
恋人をつくることは反対しないが、相手の家庭を壊すようなことは絶対してはいけないと諭された。
その後は、彼女のお誘いには色々な理由を言っては断り続けた。
彼女も気づいたのか、自然と疎遠になっていった。
しかし若さゆえに、一度味わった禁断の果実は忘れることは出来なかった。
日に日に増していく性欲に我慢が出来ず、自ら慰める日々が続いた。
その夜はいつに無く冷え込みコタツだけでは寒さをしのぐことができなかった。
母は私の寝床に潜り込むと温もりを求めて細く小柄な体を寄せてきた。
背中越しに母の冷え切った身体を感じて向きを変えて母をみる。
子供のように無邪気な微笑を浮かべて抱きついてきた。
小さな体を丸くして子供の様に腕の中に潜り込んでくる。
抱きしめずにはいられない母の背中の冷たさが心地よく、いつまでもこうしていたいと思った。
私の胸に顔を埋める母の柔らかな肌が心地よかった。
パジャマ姿の母から醸し出す臭いが好きだった。
ただ触れ合う素足が氷のように冷たい。
素足から伝わる冷たさが、なぜか私の身体を刺激する。
母に気づかれないよう腰を引いて隙間をつくるが、絡みついたつま先が直ぐに隙間を埋めてしまう。
パジャマを通して母の柔らかい太股の感触が伝わってくる。
抱き合ったまま、何の言葉も無く薄明かりの中で息を潜める母と私。
行き場を失った体の中心の腫れ物は、母のお腹の上で戸惑いながらも熱を発している。
母は私の胸の中でうずくまり目をあわせることはなかった。
手のひらに伝わる母の寝息が悩ましく抱く手に力が入る。
母の求めるものは、私のほてった体の温もりだけだった。
気がつくといつものように朝を迎えていた。
昨夜の母のぬくもりと残り香が今も消えずに残っている。
ただパンツの中には、ごわついた夢精の跡が残っていた。
台所に立つ母の後ろ姿に、おもわず安堵の吐息がこぼれた。
力ずくでも奪えるものならと、母の身体に欲情した自分に悔いた。
母は、事あるごとに私を守るべく「母だから」と自分を奮い立たせて生きてきたと冗談交じりに話していた。
女一人で育ててくれた母には母なりの哀しさや苦しさがたくさんあったと思う。
そんな母に自立できないままの私は、気がつくと40年の歳月が過ぎ去っていた。