うちの母は父の愛人で、我が家はあまり裕福とは言えない母子家庭でした。
母は夜の仕事をして私を育ててくれていたのです。
優しくあまり怒ることのない母でした。
そんな中、4年生くらいだった私が留守番中のある日、押入れの奥からラベルの貼っていないVHSを見つけました。
そういうものであるという意識や期待など持つわけもなく、ただただ興味本位で再生すると、「裏ビデオ」と言われるものでした。
裕福でない家庭がなんでそんな昔にビデオデッキがあったかと言えば、母がお店のお客さんよりもらったとの事でした。
今思い返せばその裏ビデオもお客さんにもらったんであろう事は予想されるのですが、その時はそんな事は関係なくただただ興奮してビデオを観たのでした。
何回か観るうちに精通もまだなのにオナニーの真似事をするようになり、日を追うごとにだんだんと大胆にそれをするようになっていきました。
母がその当時表向きはマッサージに使っていた電マを射精もしないのに股間に当てると気持ちいのを知ったのもその頃でした。
そして母のパンティを履いてそれをするようにもなっていました。
そんなある日いつものように母の仕事中裏ビデオを見ながら、母のパンティを履いて電マを股間に当てているとまだ帰ってくる時間ではない母が帰ってきてしまいました。
私は慌てて取り繕おうとしたと思います。
その姿を見て母は
「途中でやめないで最後までやりなさい」
と冷たく言い放ち、私の横に座って続けるよう促します。
座った母の横でただただベソをかきながら股間に電マを当てる息子というなんだか訳のわからない地獄のような空間がそこにありました。
そんな状態でイケるわけも無く、ベソをかきながら「ゴメンナサイ、ゴメンナサイ」と謝っていると
「壁に手をついてお尻をこちらに向けなさい」
と母。
言うとおりにすると容赦ない平手打ちがお尻に飛びます。
一頻り叩かれた後、優しく抱きしめてくれて一緒にお風呂に入り叩いたお尻を優しく洗ってくれました。
ただ。
お話はここで終わらずに続きがあります。
その件があってから我が家では私が悪いことをして怒られるときは、
「下半身裸で正座をしお尻を叩かれる」
というのが恒例になりました。
それは中学生になっても続きます。
ある日、
何をして怒られたかは覚えていませんが、いつものようにお尻を叩かれている時の事、ふとした瞬間に勃起してしまったのです。
もうすでに大人のそれになっていた物が見事に勃起している訳で、私の横に立っている母の目に入らないわけは無かったのですが、母はそれを見ても顔色を変えずに叩き続けました。
何も言う訳でも無く、何か聞かれる訳でも無く、淡々と折檻は続きました。
そしてやっとその時間は終わりを告げ、いつものように
「ズボン履きなさい」
という言葉が来ると思いズボンに手をかけ履こうとすると
「久しぶりに一緒にお風呂はいる?」
「あ、でもうちのお風呂じゃ〇〇ももう大人だし2人で入るには狭いか」
と母が笑って言いだします。
恥ずかしさが先に立ち
「いや。いいよ。」
そういうと母は今まで見たこともないくらい寂しげな顔で
「そう…。」
と言ってその場を離れ一人でお風呂に向かおうとしました。
私は何故かその顔を見て断っちゃいけないと思いなおし
「やっぱいっしょにはいっていい?」
と背中に声をかけました。
振り返り寂しげな顔のまま微笑んで
「入ろう」
と言ってくれました
一緒にお風呂に入ると言っても湯船に2人ではいるスペースは無くかろうじて洗い場は縦なら2人で並べる程度。
先に私が湯船に浸かり母が身体を洗っていました。
洗顔、頭、体と洗い終わり湯船の私に
「背中洗ってあげるから出ておいで」
と声をかけてくれます。
努めて母の肢体を見ないよう心がけていましたが狭いお風呂です。
いやでも目に入り私は再び勃起していました。
湯船から上がれずモジモジしていると
「わかってるから恥ずかしがらないで出てきなさい」
と更に優しく声をかけてくれました。
私は覚悟を決め言われるままに母の前に背中を向け座りました。
母はやさしく撫でる様に背中を洗ってくれました
一頻り洗い終わると急に母が後ろから抱きしめてきました。
ドキドキして言葉にもつまり身体がうごきません。
その体制がどれくらい続いたかわかりませんが身体は正直で先程にも増して下半身は勃起してしまっています。
そんな私を察したかの様に母の手が後ろから
下半身に延びペニスをしごき始めました。
私は流石に抵抗しましたが母は、
「苦しいでしょう?黙って言うこと聞きなさい」
と耳元で言って優しくしごき続けます。
程なくして私が果てるともう一度身体を洗ってくれ、その後お風呂場での会話は無く2人で上がりました。
その後会話することなく朝を迎え
いつも通り挨拶し部活に送り出してくれて
部活を終え帰宅すると
初めて会う父が居ました
「母親はもう帰ってこない」
「2~3日したら迎えに来るから身の回りのもの用意しておけ」
といい帰って行きました。
にわかには信じられずに部屋に戻り茫然自失のまま母がいつも帰る時間を迎え
朝になり事実を飲み込みました
事実を飲み込むと同時に怒りに近い感情がこみ上げ、
母の部屋に向かい押入れを怒りに任せて引っ掻き回しましました
押入れの奥
何年も入りっぱなしの布団の奥に鍵付きのカバンを見つけハサミでカバンを切り中身をぶちまけました
すると中からは
「縄」「ディルド」「バイブ」「ハメ撮り(SM)のポラ数十枚」「汚れた下着」「VHS」
が出て来ました。
ポラの母の痴態と汚れた下着で爆発寸前まで勃起した私はVHSを再生しました
予想通り母がポラの男に縛られ調教されている模様が録画されたものでした。
割れた音声で矯正を上げる母の声がTVのスピーカーから聞こえてきます。
涙を流しながら勃起したものをしごき母の下着に何回も果てました。
その2日後に父が迎えに来てその部屋を出ました。
その際母のものは持ち出さなかったのですが、怒りに任せて欲望をぶちまけた下着だけ父の家に持ち込みました。
洗濯はしてしまいましたが結婚して所帯を持つまで20年以上大事に持ち続けました。
ちなみに中学の時別れてから一度も母には会っておらず、行方も知れません。
未だにこの思い出を引きずっています。