中学に入るまで母と風呂に入り同じ布団で寝ていた。
風呂では互いの体を隅々まで洗い合ったし、
布団の中ではどちらかが眠りに就くまでいっぱいキスした。
僕が眠りに一度就いた後、ふと目覚めると、
母が吸い付くように僕にキスしながら鼻息荒く喘いでいることがあった。
今思えば自慰をしていたのだと思うが、
僕は母としては僕が眠ったままである方が都合がよいのだろうと分かっていたので、
寝たふりを続けたことを覚えている。
精通を迎えてから母と寝ることは止めたが、
朝早く父が仕事に出かけた後で、母はまだ寝ている僕のパンツを脱がすようになった。
朝立ちし皮剥けたペニスの臭いを嗅ぐだけで、触るわけでも舐めるわけでもない。
そうして勃起が収まるとパンツを戻し、決まって「朝ごはん出来ているよ」と言うのだ。
最初こそ戸惑いを覚えたが、高校生になるころには、
ペニスに鼻を近づける母の髪を撫でてやったり、
朝ごはんの挨拶の後にキスをしてやる余裕が持てるようになった。
夢精していたときには、母は濡れたタオルで股間を拭いてくれ、
替えのパンツを履かせてくれた。
拭いたタオルはすぐに洗濯してしまうが、
精液がべったりと着いた夢精パンツを、
母は自分の寝室に持って行き、次に僕が夢精するまで取っておくのだ。
夢精したときは朝立ちを見せれないが、
むしろ母は僕が夢精していたときのほうが機嫌が良いことが多かった。
大学に入って一人暮らしを始めて家を出たが、
帰省するたびに母にジーパンを買ってもらった。
ジーパンは洗わなくてよいからで、
僕の汗が染み付いたジーパンを今でも母は残している。
「更年期性が辛い」と言って、母は2~3ヶ月に一度くらいの頻度で、
それも一週間前後の期間の間に泊まりにくることがあった。
そのときには母の求めで一緒に入浴したが、
ペニスを洗うときには、
毎度母は「これは彼女さんのものなんだよね?」と聞いてきて、
僕が頷くので、さらっと流すだけでそれ以上触ろうとはしなかった。
ディープキスまがいのこともしたが、母とキスしても不思議なほど勃起しなかった。
全裸のまま母に腕枕をして一緒に寝た。
「眠れない」というのが嘘だと思うぐらい、健やかにぐうぐう寝ていた。
この頃になると夢精はしなくなっていたし、脇毛が生え始めたこともあって、
母はペニスの臭いより僕の脇の臭いのほうが好むようになっていった。
腕枕をしている僕の脇に鼻を突っ込んで眠るのである。
正直言って、母が来ているときには彼女を部屋に連れ込むことはできないので、
除魔に思っていたが、
辛そうな顔をして来た母が活き活きとした表情になっていくのが嬉しくて、
母に付き合っていた。
大学院を卒業して、就職に失敗し彼女と別れた僕は、実家に帰った。
地元で就職先を見つけて一年が経ったが、
母は何も求めて来ない。
「もうペニスは見なくてもいいのか」と母に詰め寄ると、
僕が大学に通っていた6年間で、母は閉経を迎え、
また定年退職した父が求めてくるようになったので、
「いらない」と言い、薄い精液が入ったコンドームを見せてきた。
「閉経したんならコンドームはいらないだろう」とからかうと、
「とっておきたかったから」だと答えた。
今まで求めてきた母から、
急に求められなくなると、
やはり少し寂しい気がする。
大学生のころに、あれほど激しいキスをしておきながら、
勃起できなかった自分、母を女として見てやれなかった自分に、
後悔の気持ちもある。
父が死に至るまで後10~20年は掛かるだろうが、
父がいなくなれば、母はまた僕を求めてくるだろう。
そのときには、母を女として扱い、抱いてやりたいと思っている。