自己満足の為に書いており無駄に長くなる文章かもしれません 暇な方だけ読んでください
私には8歳年の離れた妹がいます。妹が13歳の時に私は21歳になります。21歳の当時、私は既に地元の小さな施工会社に勤めておりました。妹は中学生になったばかりです。そんな当時、妹が中学校の同級生に影響されて、「私もバレェをやってみたい」と言い出したのです。その意思になんら反対する要素もなく、妹は同級生と一緒にバレェをやり始めました。
突然ですが話しは変わります。当時、私たち一家が住んでたマンションは田舎という事もあり、小学校には近いが妹が通う中学校には遠いという事がありました。父母は中学校が終わった後、バレェ教室に通い帰りが遅くなる妹の身を心配してか、引越しを検討し始めていたのです。そこで売りに出されていた一軒家が家族4人で住むには十分すぎる程広く、また中学校のみならず(妹が進学するであろう)公立高校、バレェ教室、駅、スーパー等に近いという事もあって、家族は満場一致で引越しを決断したのでした。
そして引越しをして1年が過ぎました。その頃の妹のライフサイクルは、月~木までは中学校の授業と部活である吹奏楽部に所属し、金曜日、土曜日はバレェ教室に通うというハードなスケジュールになっていたと思います。その頃になって我が家が多少余裕のある広さである事と、学校やバレェ教室が近い事からか、金曜日の夕方になると、2週間に1回の頻度で妹が同じバレェ教室に通う中学校の同級生2~3名を連れて家に泊まりにくるようになったのです。きっと翌日の土曜も午前中からバレェのレッスンがあるので一緒に通いましょうとの事なのでしょう。
そんな中、私はある土曜日に会社での安全大会という会議がありました。一年に1回行われる会議で、内容は現場での事故防止のための指導会のようなものです。いつもは作業着で通勤するのですが、その日は背広着用が義務となっていました。私は朝6時に起きシャワーを浴びて準備をするのですが、どうやら肝心の背広が妹達の団体が寝る3Fの和室に置いてある事に気がついたのです。
私は寝ているであろう妹達を起こさないように配慮し、スゥーと静かに引き戸をあけ背広だけをとってまた部屋を出ようと思いました。そして扉を開けると予想通り如何にもバレェをやってそうな色の白くて細い女の子が3名と、妹の計4名が各々のスタイルでスースーと寝息を立ててゴロ寝をしていたのでした。私は壁にかかっていた背広のハンガーを取り部屋を出ようとすると、扉付近で寝ていた女の子(A子)の着衣の隙間から(ハーフパンツというやつ?)綿素材であろう薄いピンクのパンティが少し見えたのでした・・。
それは全ての始まりでした。その頃、私は欲求不満だったのかもしれません。結局、会議中もその光景が脳裏に焼きつき会議に集中できない自分がいました。そしてこのままではダメだ。と思い、不本意ながら休み時間に会議場である商工会議所のトイレに行き、脳裏に焼きついていた映像をもとに自慰行為をし自分を落ち着かせたのでした。その時から私は卑猥な事を見たいが為に、金曜に妹達が我が家に泊まりに来るのを待つという、卑しい目的が心の中に住み着いてしまったのです。
たしか翌週の事だったと思います。よくよく考えてみれば妹達は部屋のスペースの問題からか、寝るときは3Fの和室で体ひとつで寝ており、各々が所持しているリュックやカバンなどは2Fの妹の部屋に置いてある事に気が付いたのです。卑しい事で頭がいっぱいの私は、妹の同級生達が金曜に泊りに来て夜に風呂に入り、その時着用していた着替えがこのカバンの中にはいっているかもしれない。と瞬時に思いついたのです。
私は日があけた土曜日の午前2:00頃、家族や妹達が寝静まったであろう時間帯に3Fの自分の部屋から2Fに降り、音を立てないように妹の部屋に侵入し鍵をかけ、置いてある友達のカバンを一つ一つ物色し始めたのです。かれこれ半年以上は我が家に遊びに来ているので、どの子がどのカバンの所有者であるか。というのは私の頭の中で完全に一致していました。私はピンクのカバンの子はA子 茶色はB子 白はC子という具合にそれぞれのカバンを物色し、中のバレェの衣装や私服、化粧品、お菓子などを掻き分け、それぞれのカバンの奥に詰め込まれていたブラやパンティを観察したのです。
(俺はいったい何やってるんだ・・)という自己嫌悪の気持ちもありましたが、当時は(こんな手軽で安全に興奮を味わえる方法があったのか!!)という気持ちの方が強かったと思います。しかも、外見はご想像の通りバレェをする子というのは色が白く華奢で細くて清楚なイメージがあります。そんなイメージの子の見られたくないであろう部分を垣間見る。という状況が私をより興奮させたのでした。
特に3人の女の子の中でもっとも私のお気に入りであったA子の下着類を徹底して物色しました。A子のパンティの香りを鼻でかぐと、一気に股間が大きくなったのを覚えています。私はA子、B子、C子のパンティを順番に香りをかぎ、最後はA子のものでフィニッシュするという行為を続けました。どの子もおそらく木曜の夜から金曜の夜にかけて一日中着用していたのでしょう。全てに薄く黄色いおしっこの縦シミが付着していたのです。香りは強烈でした。
そういう生活をそれから三ヶ月は続けました。三ヵ月後にはなんの恐れもなく、罪の意識もなく慣れた手つきで物色行為をしている自分がいました。A子たち3人は、かってな予想なのですがバレェ=美を追求する。という精神面の影響か、下着も大人っぽいものに変化していくのを楽しめました。最初の頃は綿の子供じみた感じのものでしたが、三ヵ月後にはTバックをはく子もあらわれてきたのです。
しかし、そういう生活も長くは続きませんでした。仲良しグループの中心であるA子がバレェは程ほどにして受験勉強を真剣にやらないといけない。と言い出したらしく、金曜日恒例の我が家でのお泊り会も2週間に1回から3週間に1回、そして2ヶ月に1回、、、そしてとうとうまったくなくなってしまったのでした。妹も以前のようにバレェに夢中になる事もなくなり、ただ週に1回だけ運動がてら通うだけのような状態になってしまったのです。
私は大幅に楽しみが奪われたような気持ちになりました。そして別の思考が現れてきたのです。それは・・・(よくよく考えたら、妹とはいえども、自分好みの「色が白く華奢で細くて清楚な娘」であることには変わりないだろう。ただ妹であるという固定概念が俺を制御しているのだろう。ただ妹の事を色が白く華奢で細くて清楚な娘だと思えばいい・・・。)と無理やり思考を洗脳させる努力をしている自分がいたのです。
そして私は事もあろうに、妹が風呂から出た後、自分も風呂に行き、脱衣所にある洗濯機の中の妹の下着を物色を試みたのでした。(精神的に無理なら無理で、こういう卑猥な行為はもう卒業しよう。もし受け入れる事ができたら・・・。)そして結果は後者でした。妹のパンティの割れ目があたる部分を鼻につけ、スゥーと香りをかいだら、それに反応して下半身が大きくなってしまったのでした。
そして妹のパンティを自分の部屋に持ち帰り、自慰行為にふけました。正直、興奮レベルは多少、A子達には劣るものの、脱ぎたての生パンティという商品価値はまったく大差ないものでした。私はそれからほぼ毎晩、妹のパンティで自慰行為にふける。という生活になってしまいました。そして欲求はエスカレートしていったのです。
ある夜、私は会社の送別会で深く酒を飲み、ご機嫌で家に帰ったのでした。家に変えると両親は親戚の家に行ったのか留守で妹が2Fのリビングでソファーに座りテレビを見ていました。妹は私が2Fのリビングに入るやいなや、きっと今までだらしない格好でテレビをみていたのでしょう。さっと座り直し紺色のデニミニの上にクッションを置いたのでした。
私はさらに家の冷蔵庫からビールを取り出しテレビを見る妹の背中をみながら一人で飲み始めました。そしてそれから妹の隣に位置をかえ、クッションにすわり二人でテレビをみていたのです。そこまではなんら不自然な光景ではありませんでした。たしかテレビ番組は(私はテレビをみないのでよくわかりませんが)お笑い芸能人が、白ネギをもって頭につけた風船を割りあう。というバカバカしいものでした。
機嫌のいい私は妹のひざの上のクッションを取り上げ、テレビの中の映像を真似て妹をクッションで攻撃するという、じゃれあう行為をしてみました。妹も暇をしていたらしく、私のクッションをとりあげようと反撃をはじめ、二人でキャッキャいいながらじゃれあっていたのでした。その時に紺色のデニミニの中からみえる青い綿のパンティが視界に入り、その途端!!!私にスイッチがはいったのでした。
私たちはクッションをもちお互いを軽くですが殴りあうという行為をくりかえし、私は少しでも妹のパンチラをみようと足首を掴んだりして足を広げようとしました。そんな事がくりかえされ私は相当酔っていたのだと思います。私は反撃し攻撃を加えてくる妹の片方のひざに手をかけ、グイっと持ち上げ、そのまま下半身はパンモロ状態にし、逆の手で肩を持ちそのまま上半身を担ぎ上げ、プロレス技のように妹の体全体をヒョイっと持ち上げたのでした。(私は現場仕事もあるため、妹を担ぎ上げる力は余裕であります)妹はさすがに「ちょっとwww」と笑いながらもパンモロ状態であるという焦りからか、笑いと焦りの混じった声を出しながら私に担ぎあげられながら空いた手でパンモロを隠そうとしていました。
妹は「コワイコワイコワイwホンマこわいってwおろして~~」といいますが、私はその体制のまま体重の軽い妹を上空でグルグル回したりして遊びました。妹も「ちょっとー危ないって!よってるんやろ~~」などと言ってました。そして担ぎ方をかえると同時にどさくさに紛れパンティの上から股間を掴むと、さらにそのままへその位置から中に手全体を入れ、指で直接割れ目やクリをさわっってやったのです。
フワフワした陰毛の感触と若干湿った割れ目の感覚が今でも手全体や指に残っています。そして直接ワレメに触れられた妹はいきなり遊びモードから真剣な面持ちに切り替わって「イヤッ!!」と甲高い声を上げました。そして本気で暴れて降りようとしたのでした。しかし私はクリの部分に触れ妹と遊んでいるテイで笑いながら指だけは執拗にクリををこれでもか。というスピードで摩擦による刺激を与えたのでした。妹のクリはどこについてるのかが非常にわかりやすく、指でハッキリと小さく硬くなった部分の感触が手に伝わりました。
ただただ執拗に指でクリを摩擦し続けると、暴れる妹の暴れ方が、時折ビクンと電流が走ったかのように震えるようになりました。クリを刺激している時間は5分でしょうか、あるいは10分でしょうか、そのあたりはハッキリとは覚えておりません。ただクリを刺激する事で妹に性的快感の刺激は伝わっている。という確信だけはありました。最後のほうでは妹は声を出さなくなり、むやみに暴れて落ちて頭を打たないように私にしがみつき、ただ腰をビクンッ!!ビク!!!ビクッ!!!と小刻みに震わせるだけになりました。パンティの裏側には妹が不本意にも分泌してしまった愛液が付着してしまったのでしょう。私の指にも濡れた感覚が若干伝わり、割れ目一体は湿った感覚に包まれていました。私は妹の愛液を指につけ、それを滑走油にし、さらにクリを摩擦し続けたのでした。
ところが逆に妹の抵抗がなくなってしまうと、不思議と「俺はいま遊んでいるんだ」というテイの雰囲気を私のほうこそが維持できなくなり、とうとうかすかに残った罪悪感をもつ自分に負けて中途半端なまま妹を地面に降ろすと、妹はずれたスカートの位置を元通りにすると、直後に半泣きの目でクッションを掴み、本気で私の顔に投げつけ怒って部屋に入っていったのです。
酔っていた私はなんら罪悪感もなく、自分の部屋に戻り指に残った妹の鉄分のような香りのする指の香りをかぎながらまた自慰行為にふけ、冷静になったところで罪悪感が襲ってきました。しかし酔いがそれにまさり、私はそのまま寝てしまいました。翌朝、妹はまだ怒っているようでした。しかしここで謝ったら事態がより深刻な雰囲気になりかねない。と本能で察知し、私は「きのうバリ酔ってたわ。どうやって家帰ったか覚えてない」としらばっくれました。妹は酒なんて飲む年齢じゃないから酒の事を何もわからないのでしょう。「飲み会のあと気が付いたらベッドで寝てたん??」とききかえしてきました。私は「そーーやなー。目が覚めたら自分の部屋の天井が見えたわ。」というと妹は安心したのか、少しづつ機嫌を直していきました。
結果としてそれ以上は何の進展もなく、私の妹に対する執着は自然と消えていきました。私も今では結婚もし子宝にも恵まれ、妹にもっていた当時の特殊な執着が影響しているような事は今現在ありません。あの頃をこうして回想すると、あの頃は特殊な2回目の思春期だったのかもしれない。と考えるようにしています。なぜこんな文章をいまさら書こうかとおもったのかというと、たまたま昨夜夢に当時の事に似た夢を見てしまったからです。こうして回想すると、また楽しいものですね。以上です。ありがとうございました。