けっこう昔の話です。私が高校生の時の話です。
私は母が24の時の子どもなので同級生からは「若くて綺麗なおかあさん」って羨ましがられていました。
息子の私が言うのもなんですが、ぽっちゃりしていますが目が二重で大きく鼻立ちも整い、柔らかいクセッ毛で可愛いタイプでした。
私は中学のころから根っからの熟女好きでした。
しかし、熟女は好きでしたが母のことは性的な対象としては見ていませんでした。
高校生だった私はもちろんエロ本やエロビデオを部屋に隠し持っていました。
それもかなりの量(笑)しかも熟女(50歳前後)ものばかり。
ある日、私はベッドに大の字に寝転がりオナニーしていました。
周りに熟女のエロ本を3冊くらい広げてです(笑)
気持ちよく大量発射して不覚にもそのまま眠ってしまいました。
下半身は丸だし、エロ本を開いたまま、ぐーぐーと寝てしまいました。
目がさめると剥き出しだった下半身にはタオルケットがかけられていました。
散乱していたはずのエロ本たちも一箇所にまとめられて置いてありました。
「あれ?タオルかけたっけ?」と首をかしげていたら…
部屋のゴミ箱が空になっている!!!
たしかに満タンのゴミが入っていたはず!
考えられる事はただひとつ。そう今、家にいるのは母だけ。掃除大好きな母が部屋にはいって片付けをしたのだ。
正直、血の気が引きました。
しかし、母も私も何事も無かったように話をして生活をしていました。
それから1週間ほど過ぎたころ、夜に夢を見ました。
フェラチオをされる夢でした。(笑)
大好きな熟女AV女優がフェラチオしてくれる夢でした。気持ちよかったんです(笑)
17歳の妄想って素晴らしいですよね。
もう少しでイキそうになったとき目がさめました。仰向けに寝ていたのですが…
暗い部屋に誰かいます。私の足のほうに…
一瞬ビックリして頭を起こして気配のある方を見ると母でした。一瞬わけがわからず混乱してしまいした。
しかし、一生懸命、私のナニをフェラチオする母をじっとみつめていました。
母は私が目がさめたことに気がついたようでしたが、構わずフェラし続けていました。
当時、童貞だった私は初めてされるフェラに感動といやらしさと快感を感じていました。
目がさめてから2分くらい…もしかしたらもっと早かったかもしれません。
私は仰向けのまま、いきなり母の口に出しました。
すごい量の精子がでました。射精している間も母は頭を上下に動かし続けて、本当に最期の一滴までしぼりとられました。
もう、出るものが無くなってからも1分くらいフェラされ続けて目の前が白くなるくらいの快感でした。
母が私のナニから離れると口から「ふうっ」と大きく息をつきました。
口で息をした… 精子は全部飲んだみたいでした。
ティッシュに出した様子は無かったです。
目を閉じたまま仰向けに寝ていた私にタオルケットをかけて母はでていきました。
そのあと、混乱して3時間くらい寝られませんでした。
混乱はしていましたが、それと同時に初めて味わう素晴らしい快感の余韻に浸っていました。
それから母とは20歳で1人暮らしを始めるまでは月に一度のペースでフェラチオだけしてもらっていました。
一度抱きついて荒々しくディープキスをして服を破るように裸にして乳首を嘗め回しながら
性行為を求めたのですが「それは絶対にできない」と拒否されました。
さらに「もし、セックスしたら二度とフェラもしない」と言われてあきらめました。
確かに、そのとき母を抱きたかったのは母を女として愛していたからではなく、熟女好きの私が性欲の捌け口として母を抱きたかっただけだったのです。
母はそれを見抜いていたからセックスは許さなかったのでしょう。
幸い(?)私は近親相姦には興味がなく、興味があるのは熟女だけでした。
だから、母と肉体関係をもつというタブーにいたることはありませんでした。
え?十分肉体関係だって?でも私たち親子は一線を引いた節度ある普通の親子関係だと思っています。
1人暮らしを始めてからは年に一回ほどフェラをしてもらっていました。。
私も結婚して子どももできましたが、たまに母とのスキンシップで親子の愛情を確かめ合っています。
私は母を親として愛しています。だからスキンシップではなるべく気持ちよくなってもらいたいのでいろいろしてあげます。
母も私にいろいろしてくれます。子として私を愛してくれているんだなぁって実感できます。
そろそろ、還暦になろうかという母が、私の妻(30)より一生懸命にフェラや愛撫などのスキンシップをしてくれる姿を見て、これからも母を大事に仲良くやっていこうと感じてしまいます。