あれからもう40年がたとうとしています。
中学3年の冬休みに入ったばかり,ある寒い朝のことを
時々思い出すのです。
学校はその日から休みだったので布団の中でエロ本を
ながめていると,階下から私を起こそうと名を呼ぶ
母の声がしました。
めんどうなので黙ってそのままにしていると,やがて
階段を上がってくる母の足音が聞こえます。
あわててエロ雑誌を布団の下に押し込み,目をつむって
寝たふりをしてやりすごすしかないと思いました。
母は私の部屋の戸を開けると,何も言わずその場に
立っているようです。
「こりゃまた怒られる」そう思いながらもじっとして
いますが,母は何も言いません。
私は目を閉じていたので何もわからないのですが、やがて
掛け布団の上からゆっくりとやわらかい重さを感じたのです。
そうして次に母の指先が軽く私の額に触れ,頬を撫でまわすの
です。どうしていいのか,母が何をしようとしているのか
わからず私はただ冷や汗をかいて動けずにいました。
その時頬に何かを感じ,それが母の鼻息であることが
すぐにわかりました。母はゆっくりとしかし深く,何か
をこらえているように息をし,小さくつぶやいたように
も思えましたが聞き取ることはできませんでした。
とうとうこらえきれず,気づかれないようにうっすら
目を開けると,母の顔がほとんど触れそうに近づき,唇
が私の閉じた唇に重なろうとしていました。
私は驚き、思わず寝返りをうって身体の向きを変えてしま
いました。すると母はそっと私の側を離れ,黙って
部屋を出て行ったようでした。
こういう記憶は誰でも多かれ少なかれあるのでしょうね。
その後も私達は普通の母子で,2度とそんなことは
なかったのですが,このときのことを憶えているかどうかも
聞くこともできないまま母は認知症になり,今は施設
で生活しています。