初めて母を女として意識したのは二十歳のとき、週刊誌の近親相姦特集。
そんな世界もアリなのかと思った。
しかし 父が怖かった、怖くて怖くてしかたがなかった。
亭主関白の父だったから、たぶん母も怖かったんだったと今は思っている。
美しい母だった、が十代のころは怖い父からかばってくれる
なんとなく姉みたいな存在だった。(二人並んで父から怒られたこともよくあった)
父がいたから、時折母の布団裸で入りオナニーをしたりパンテイを履いて(もちろん汚れた)
一日過ごしたりくらいしかできなかった。
23歳の時父がきめた人と見合い結婚、最初は愛なんてなかった。
子供1人でき、なんとなく妻に愛情もわいてきた。
あるとき母が仲良くしている私たちに焼きもちをやいて怒った事があった。
母も父と見合い結婚、愛はなっかったと思う。(ほんとは俺が好きだったと思う)
祖母が亡くなり、父も53歳で亡くなった。 母は45歳、俺は27歳。
怖いものがなくなった、しばらくはあえて意識はしなかった。
妻と子供達がいたから。
父がなくなってから2年後の夏、妻と子供達が実家へ5日間の里帰りをした。
初めて二人だけの夜がきた。
会社から帰り(いつもより早く一生懸命仕事を終えて)
食事をしシャワーを浴び、今でテレビを見ていた母の隣に座った俺を見て母は
思わず目をそらした。
おれはこの日のためにこっそり買ったビキニのブリーフ一枚の姿だった。
「シャワー浴びてくる」いたたまれずそう言って母は風呂へ行った。
その間に寝たふりをして暑さにまぎれたふりでブリーフを膝までさげた。
シャワーを終えて居間にきた母はしばらくたちどまっていた。(すごく長く感じたが多分
十秒くらいだった)なんにも言わず寝室へいった。 腹に着かんばかりに勃起していた。
その日はそれ以上できなかった。
次の日も一生懸命早く帰った。
シャワーを終えた。
「二階暑いから下で寝る」
母の寝室の隣の客間に布団を敷いた。暑い時期ふすまは開けっ放しだった。
小さな灯りにして布団の上、「暑い、暑い」昨晩のようにビキニブリーフを脱いだ。
もんもんとした中、母がおれの横を通ってトイレにたった。
その間に布団をそれぞれの部屋の境に寄せた。
一応別々の部屋だが、布団はぴったりくっついて並んだ。
トイレから帰った母は一瞬立ち止まったがなにも言わず布団に横たわった。
寝返りを打ったふりをして母にちかづき腹の上に腕をのせた。母はパジャマをしっかり着ていた。
耳に息を吹きかけながら寝た。それ以上は勇気がなかった。
次の日も早く帰った。
シャワーのあと、その日は母が「どこで寝る?」
「下で」
明るい電灯の下、布団は母の寝室にならべて敷いてあった。
布団に横になった。
「腹が痛い、さすって」
母はよこになりながらさすってくれた。その手を下腹部へいざなった。
まるで勃起をさけるように、廻りをなでてくれた。
しばらくして、今度は母が
「胸が痛いからさすって...」といってパジャマの上をたくしあげた。
母の胸は小さい(盛り上がりがほとんどない、aカップもない)
その胸に顔をうづめた。
「母さん すきだよ」とささやいた。
そして美人の母が自慢だった、好きだったとはなした。
話してゆくうちに、母の思い出話になり、もんもんとしつつも なにもなく寝た。
なにも言わずケダモノのように行けば母は体を開いてくれたのか、自信が、勇気が
なかった。(なぜ母は胸をだしたのだろうか....)
次の日妻と子供が帰ってきた。
あれから十五年、妻とはセックスはない、母60歳、息子42歳
心の底にあの日の官能の邪炎を秘めながら(たぶん母も)生活をしている。