私の母は49歳です。親父は病没して、母子で暮らしています。
先日、母が腰を痛めて、暫く動くことさえ出来なくなりました。今は、少しは動けるようになりましたが、普通の生活は出来ません。トイレは何とか自分で行けるものの、お風呂は危ないので、一人では無理な状態です。
それで、私が母を風呂に入れるようになりました。初めは、母は断っていましたが、やはり夏場は汗もかくし、お風呂には入った方が良いと私の勧めに
母もその気になりました。
それで、何十年振りかで母といっしょに風呂に入ることになったのです。
私が先に裸になり、母が脱ぐのを手伝ってやりました。母は恥ずかしいようでした。いくら息子でも、裸を見せるのは抵抗があるようでした。母はタオルで股のところをしっかりと押さえて、隠していました。久しぶりに見る母の裸。さすがに乳房は垂れていました。お腹や腰の周りは脂肪が付いて太ってました。何か懐かしいような気がしたものです。
その母を抱きかかえて、湯船に入りました。母はタオルで、しっかりと股を隠しています。
そして、湯船から出て、母の体を洗うことにしました。初めは背中から、そして腕を洗い、前に移りました。母は前は自分で洗うからといいましたが、私は構わずに、母の首から乳房を洗いました。私は隙をみてタオルを置き、手で直に母の乳房を揉むようにして洗ってやりました。母は驚いたようで、あっと声を上げて、私の手を払い、手で隠すようにしました。私は、母の背中の方にまわり、私の体で母の右手を押さえ込み、左手で母の左手を押さえ、右手で母の乳房を揉み洗いしやりました。母は身を捩って抵抗しようとしましたが、腰が痛いので自由が利きません。
私のやりたい放題になりました。母は声を荒げて、やめなさいと言いましたが、私は洗っているのだよと平然と言ってやりました。
母は怒ったようでしたが、構わずに乳房を洗いながら、次はお腹を洗い、その下に行こうとしました。母は慌てて、左手でタオルを股のところに押し当て隠しました。やはり息子でも、オメコを洗われるのは恥ずかしいのでしょう。女として当然でしょうが。
私は、後の方を洗ってやりました。母はしっかりと手に力を入れて、股を隠しているのが解りました。そして、洗い終わって、シャワーで流すために母を立たせました。母を壁に手を付かせて立たせ、シャワーをかけてやりました。そして、また湯船に入るために、母を抱きかかえようとした瞬間、股を隠していたタオルを取り上げました。あっと言う母の声、慌てて手で隠そうとする母。構わず私は母に、お母さん、やっぱりちゃんとオメコも洗わないとダメだよと言って、タオルに石鹸をつけて、母のオメコを洗い始めました。慌てる母。でも、暫くすると観念したのか、開き直ったのか、おとなしくなりました。私は手で、母のオメコを洗ってやりました。母のオメコの感触を楽しみながら。どちらかと言うと薄い母の陰毛。その下の陰唇の感触を堪能しながら。シャワーで石鹸を流すと、母のオメコが見ます。母は目を閉じてました。私はシャワーを、母のオメコに当てるようにしてかけてやりました。そして、母の薄い陰毛を掻き分けて、オメコを拡げてシャワーをかけました。母のオメコを観察するようにして。ワレメからはみ出した陰唇、大きめのクリトリス。もっと拡げて、母の膣穴までも剥き出してやりました。
親父のチンボを受け入れた肉穴です。もちろん私が産まれ出た穴です。
母は、無抵抗のままです。さすがに、母の膣穴に指を入れることは出来ませんでした。私のチンボは勃起してましたが。
その後、母を湯船に入れて、私は勃起しているチンボが、母に見えるようにししました。母は瞬間に見て、目を閉じました。私はゆっくりと、母の顔の前に勃起しているチンボを近づけました。目を閉じている母。
母の口元近くまで、チンボを近づけて、母にそろそろ出ようかと声をかけました。母は、そうねと言って、目を開けました。目の前には、私のチンボ。
母はビックリして、目をそらしました。私は、それ以上は出来ずに、母を抱き上げて、風呂から出ました。
この事があってから、母は一人で風呂に入ると言い、入っています。でも、私は時間があれば、母が風呂に入ったのを見計らって、いっしょに入っていきます。母は怒りますが、構わずに入ります。そして、母のオメコを洗ってやります。抵抗するのは、初めのうちだけで、そのうちに諦めたのか無抵抗になります。49歳のオメコを楽しみながら、そのうち母のオメコの毛を剃り落としてやろうかと思っています。