今から30年前の話しになるが、私が思春期(中学生)で異性に興味を持ち始めた頃の話しをさせていただきます。
自分の身近で異性と言えば若くはないが母親である。(兄弟は兄だけ)あることがキッカケで母に女を感じてしまったのである。それは母が入浴後、ワンピース姿(丈が膝丈位)で茶の間でくつろいでいたのである。なんとノーパンで!(ノーパンには理由がある。その理由は後で話す。)私はその時茶の間でテレビを見ていた。母はワンピース姿で足を斜めに崩して新聞を読んでいた。新聞をめくった時、新聞の角がワンピースの裾に引っかかったみたいで、パッと裾を払った時、ワンピースの裾が捲れ上がり、一瞬ではあったが、下着を付けていない下半身が露わになったのである。
その時まで母を女として意識した事は無かった。その時から母の裸を覗いたり、脱いだ下着などを物色するようになったのである。母の裸を覗くのは母が風呂場から出たところを覗くのである。風呂場は台所の左端にあり、脱衣所は無く台所が脱衣所がわりになっている。その台所のとなりが茶の間で、すりガラスの戸で仕切られている。母の裸を覗くには絶好の条件であった。私は予め茶の間で勉強するふりをして戸を少し開けて置き母が風呂場から出てくるタイミングを狙っているのがパターンであった。私の母はその時歳は40を過ぎていたが、実際は歳より少し若く見える。そういうふうにしていつも母の裸を覗いていた。母が入浴後時々ノーパンでいる理由は、少々汚いが、毎日パンティを履き替えているわけではなく、2日続けて履いていることも珍しく無かった。入浴する時最初今履いているパンティを続けて履くつもりなので履き替えのパンティは持ってこないのである。しかしその時の気分で少し迷ってその日履いたパンティを続けて履くのをやめ洗濯機に入れるのである。一部始終覗いているのでそれが良く分かるのである。母が2日履いたパンティはさすがに汚れがひどく臭いもかなりきつかった。1日履いたパンティは2日履いたのと比べれば、汚れも臭いもそれほどひどく無くオカズにするには最適であった。母は入浴後はノーパンであってもワンピースの裾の乱れなど全く気にせず無防備であったので秘部が良く見えるのである。
母のノーパン姿を見てしまってから、私の心の中は母中心の世界であった。私の楽しみは母の裸を覗く事と私が入浴する事である。私が入浴するのは決まって母が入浴した後である。なぜか?もうお気づきでしょう。 風呂場の中に洗濯機があり、その洗濯機の中に母がさっきまで履いていたパンティがあるからである。私は風呂場に入ってすぐには湯船に入ったり体を洗ったりしない。初めにする事は洗濯機の中にある母のパンティを取り出し、じっくり見たり臭いを嗅いだりして最後は履くのである。母が少し前まで履いていたのでまだ温もりがあり、母のパンティを履いた時この温もりの感触がたまらなく好きだった。まるで母と一体化しているようで。そのようにしてしばらく母のパンティで遊んでいるのである。入浴している時が誰にも気兼ねなく落ち着いて母を感じていられる最高のひとときであった。これがこの当時私が母に対してできる精一杯のことであった。その当時の私は母とセックスまでは望んではいなかったが、体に触れてみたいと言う願望は当然持っていた。母の体(尻や股関)にどうにかして合法的に触れられる方法が無いか色々考えたりもした。ある夏の日一泊で母と一緒に海水浴へ行った。泊まる所は母の古い友人の民宿であった。私は一足先に母より浜辺に着いていた。少し遅れて来た母に「サンオイル忘れて来たから持ってきて」と言われたので民宿に戻った。母のバックをあけサンオイルを探していたら少し前まで履いていたパンティがあった。母のパンティのほとんどは地味で大きめなものであったが、このパンティは小さめで白でフリルが青の私が母のパンティの中で一番好きなパンティだった。まだ温もりがあり、局部にうっすらとシミが着いていた。そのパンティを顔にうずめて臭いを嗅いだりした。また履き替えのパンティもあった。前回は母は2日続けて同じパンティを履くこともあると言ったが、さすがに夏は2日続けて履かない。そこで私は悪い事を考えた。履き替えのパンティを隠すことにした。次の日にはまたバックに戻すことにして。浜辺に戻った私に母は「ずいぶん遅かったわね!」と言われたが、「サンオイルがなかなか見つからなかったんだ」と答えた。(本当はすぐ見つかった。)
それから母はサンオイルを体にぬり始めた。背中は自分ではぬれないので母から頼まれてぬった。合法的に母の体に触れたのである。しかし背中では到底満足できる訳が無い。やはり下半身でなければ満足できないのである。そして海でしばらく遊んでから民宿に母と戻った。ここからが勝負である。民宿に戻って最初にする事は風呂に入ることだが、他人の家なので母の裸を覗く事は不可能と判断し先に私が入った。するとすぐに母も入ってきた。「アンタはいつも長湯だし、疲れたし、お腹もすいたから私も一緒に入るよ」と言って入ってきたのである。予期せぬ出来事に私は動揺した。母から「アンタはいつも長湯」と言われた時、私は心の中で母に「なぜ長湯か知ってるの?お母さんアンタのパンティのせいだよ」と言った。私の至近距離に裸の母がいるのである。しかし私のペニスは動揺と緊張のためか勃起しなかった。不幸中の幸いである。いくら自分の目の前に裸の母がいると言っても露骨にジロジロ見る訳にはいかない。良いようで悪いのである。私は「長湯」と言うことになっているので、母より後に風呂からでた。私より先に風呂から出た母の言葉は「あれー」である。私が隠した履き替えのパンティが見当たらないからである。さあ!母はこれからどうするのか?浴衣の下は?もう一度同じパンティを履くのか?
入浴後、私が最初に見た母の姿は、浴衣姿でドライヤーで髪を乾かしている後ろ姿であった
。浴衣の下がどうなっているのか?とても気になる。そういう目で見ていると母の浴衣姿が
とてもセクシーに見える。それから民宿で食事をした。母は普段ほとんど酒を飲まないが、
久しぶりに会った古い友人から進められて最初「私飲めないから~」と言っていた母も酒を飲
み始めた。古い友人との懐かしい話に花が咲き、友人に進められるままドンドン酒を飲んだ
のである。それから2時間位経ったであろうか母は既に泥酔状態であった。母がトイレに行
こうとしたが足がフラフラで一人で行ける状態で無かった。それで私は母に肩を貸してトイ
レに行った。母の胸がピッタリとくっついた。何とも言えない良い感触。また母を支えるふ
りをしてここぞとばかりにわざとお尻を触ったりもした。合法的?に母の胸やお尻に触れた
のである。トイレに入った母をドア越しからオシッコの音を聞いた。今までかなり我慢して
いたようで「シャー」と勢いの良い音だった。トイレから出て来た母は何かを手に握っていた
。初めはハンカチかな?と思ったが、すぐにそれがパンティであることが分かった。と言う
ことは、入浴後は履き替えのパンティが(私がイタズラして隠した)無かったので仕方なく同
じパンティを履いたのである。そして今トイレでパンティを脱いだのである。今現在の母の
浴衣の下は紛れもなくノーパンである。私はまた母を抱えながら部屋に戻る時心の中で「お
母さん今日もう一度浴衣の裾を左右に広げることになるよ!」と言った。
泥酔して意識がほとんどない母を布団に寝かせた。今のトイレが幸いして浴衣の裾がかなり乱れた。辛うじて秘部が隠れていると言う状態であった。数分後母はイビキをかき熟睡した。母の浴衣の裾を少し左右に広げるだけで母の秘部が間近に見ることが出来るのである。今までこのチャンスをどれだけ望んでいたか!今まで隠れて少し離れたところでしか見ることが出来なかった母の秘部を自由にする事が出来る(ちょっとおおげさ)
私の心臓は高鳴り興奮の極致であった。私は震える手で母の浴衣の裾を少しずつ広げていった。
そして母の秘部が露わになった。母の陰毛は薄く少な目で綺麗な陰毛である。(今まで隠れて何回も見ているが)それから母の陰毛を撫でたり、優しく愛撫したりした。最後は秘部のワレメを広げてクンニした。何とも言えない複雑な味であった。この母の秘部のイタズラは私にとって最初で最後であった。その後の私の思春期はエロ本やエッチな深夜番組(11PM)を見る機会が多くなり、性欲の対象が母からそっちの方へ移っていった。中学を卒業する頃までには、母の裸を覗いたり、パンティをイタズラする事はしなくなった。後になって「何故あの時母に性欲を持ったり、あんな事をしたのだろう?自分は異常なのでは?変態なのでは?」と悩んだりしたが、こういう近親相姦のサイトを見て、思春期の息子が母親に性欲を持ったりするのは珍しいことではないことが分かった。また母親が息子に性欲を持ったりしてわざと誘惑したなどの体験にはびっくりした。親子と言えども所詮は「男と女」なんだなぁと思った。長々と拙い体験を書いてしまいました。もしこれを読んだ感想を頂ければ幸いです。 完