母親との事を思い出しました。
俺が高2位の頃からだった。 昔から雑魚寝に近い感じでしたが、中1の時に引っ越してからは兄貴と姉ちゃんはそれぞれ部屋を持つ様になりました。
俺は相変わらず、オヤジやお袋と一緒でした。
親たちが高鼾をかき始めた頃を見計らって姉ちゃんの部屋に入り込み、おまんこを触ったりの悪戯をしておりました。
やがて其れをお袋に姉ちゃんが言いつけたらしく「夜中に紀子ちゃんの部屋に行ったりしたらだめよ」と云われて暫くは監視されている様な感じでした。
高3の頃にオヤジが単身赴任していき、月の半分位はお袋と二人で寝られる様になりました。
まあ、昔の事を思い出したり、兄貴のスケベな本や週刊誌の小説などをおかずに手淫していましたからそれほど溜まってしまった感じも無かった筈ですが。
駅からの抜け道になっている夏になると草で覆われる空き地が近くにありました。 婆ちゃんの通夜の後帰る看護婦の従姉を送りがてら、おまんこしちゃった事が有る程背丈のある草邑を一本獣道の様に道が出来ています。
そこで遅くなって近道を選ぶ娘を襲おうと思って後をつけた事も何度か有りました。 姉ちゃんをまた姦っちまうか、お袋を犯るか、他人の娘を狙うかの選択をしばらくしました。
ある晩(オヤジが昨日帰ったという晩でした)お袋のイビキが聞こえ始めたので取り敢ずパンツの中身を取り出して、溜まった物を出す準備を始めます。
するとタイミング良くの様に、お袋の掛けていたタオルケットがはだけられて大股を広げたのが見えました。 姉ちゃん達にした様に下着の脇から手を入れ母親の割れ目にふれてみたのです。 姉ちゃん達と違って穿いているのはトランクスと和装下着の合いの子の様な物で腿にはゴムが入っていませんでした。
手は簡単に母親の性器全体をさぐれてしまいました。
思いの外「母親」という感覚は薄弱でしたので何も躊躇はしませんでした。
この頃母親の代わりを求める様に、熟女がブームらしいですが、俺の場合はむしろ反対で、おまんこを母親に求めていたのでした。
割れ目のあるのは女。 女であるから母親でも充分良い訳です。
そしてその晩は久しぶりに割れ目を裂いておまんこを探検しながら溜まっていたモノをたっぷりと放出できました。 正に何人も子供を産んでいる女の性器でした。 ヘアが少ない丘はたっぷりと盛り上がり大きく裂けていました。
目の当たりにした訳ではありませんが感覚ではしっかり判りました。
そして、その晩は興奮冷めぬまま、しかし射精の後の虚無感と母親をおかずにした事の後ろめたさを感じたものです。
因みに挿入したのは中指と人差し指で、射精もいつもの様にタオルにでした。