これはその頃流行っていた「のぞき部屋」での体験です。
ある晩、私は酔いの勢いも手伝って当時話題の「のぞき部屋」に入ってみました。
通された個室は薄暗い赤い照明で満たされ、有線放送がひび割れた音で流れていました。
壁には上下に横長の穴が開き、それとは別に扉の付いたもう少し大きめの穴がありました。小さい方の穴をのぞくと女の子の部屋を模したステージがあり、中央には布団が敷かれていました。
周囲は全て鏡貼りでしたが、扉付きの穴だけはその位置を確認する事ができました。
ティッシュが置かれた棚の上に、口淫や手淫の料金表が貼ってありましたが、当時はテコキという言葉も無く、リップサービス、ハンドサービスと表記されていました。
扉付きの穴からペニスを出してサービスを受ける事はテレビで見て知っていました。
私はズボンとパンツを脱ぎ、すでに半勃起状態のペニスを軽く扱きながら、開演を待ちました。
やがてBGMがエマニエル夫人のテーマに変わると、壁の一角が開き、女子大生風の少女がステージに登場しました。
少女はストリップのように身をくねらせる事もなく、無造作に服を脱ぎ始めました。私はまさに他人の脱衣を覗いているような興奮を覚え、立ったりしゃがんだりして覗く位置を変えながら、ペニスを夢中で扱きました。
しかし、少女の顔が自分の娘のものだと気付いた時は、全身が凍り付いてしまいました。
髪型も化粧も違いましたが、一度気付いてしまえば、娘に間違いありませんでした。
娘は自宅から女子大に通い、居酒屋でバイトをしているはずでした。帰宅も日付が変わる事はなく、酒の匂いをさせて帰ってくる事もなかったので、私も妻も安心していました。
しかし、娘はこんなところで裸体を人前に曝していたのです。
私は怒りと悔しさに身を震わせましたが、自分の今の姿を考えると、娘を責める資格は無い事に気付きました。
私は下半身丸出しで他人様の娘の裸を覗き見しながら自慰行為をしていたのですから。
私は一旦はこのまま帰ろうと思ったのですが、下着一枚で仰向けに横たわる娘の裸体から、目を離す事ができませんでした。
娘は左手で小さな胸を揉み、右手で下着の上から割れ目をなぞっていましたが、やがて下着に手を差し入れ、直接性器を愛撫し始めました。
私は、背中をのけ反らせ小さな喘ぎ声をあげる娘を見ながら、射精してしまいました。自分でも気付かぬうちにペニスを扱いていたのです。私は壁をつたい落ちる精液を見て茫然としました。
ステージの娘は両手を下着にかけると、両脚を振り上げるようにして身体をまるめ、つま先から下着を抜き取りました。
私の角度からだと、少し斜めになりましたが、淡い陰毛に彩られた娘の性器がはっきりと見えました。
私はもうためらう事なく、勃起したままのペニスを扱きました。覗く位置を何度も変えながら、無心で扱き続けました。
バイブを差し込まれた娘の膣穴を見ながら射精し、他の客のペニスをくわえる娘の後ろ姿を見ながら射精しました。
その晩は帰宅するとすぐに寝てしまい、娘と顔を合わせるのをさけました。少し遅れて帰宅して、妻と話す娘の声はいつも通りでしたが、私はもう元には戻れませんでした。
翌晩も散々悩んだあげく、結局出掛けて行きました。その日の娘は夏のセーラー服を着ていました。私は少女時代の娘を思い出しながら、ペニスを扱きました。
私は妄想の中で娘を犯し射精しました。私は今の娘を犯し、女子高生の娘を犯し、中学生の娘を、小学生の娘を犯しました。
三日目の晩、私は小さな扉を開け、紙幣を落としました。
娘が近づくと、私は無言でペニスを差し出しました。
娘の冷たい指先がペニスに触れただけで、全身に震えが走りましたが、娘はそれが父親のものだと知るはずもなく、手慣れた様子でおしぼりで拭いてくれました。
私は覗き穴に顔をはりつけんばかりにして、四つん這いの娘の尻を凝視しながら、娘の口腔にペニスが包まれるのを感じていました。
娘の技巧は素晴らしく、私はものの数分で射精してしまいました。
娘は立ち上がると口を開け、大量の精液をティッシュの上に吐き出すのを見せてくれました。
マジックミラーごしに見ているのが、実の父親だなどと知るよしも無い娘は、笑いながら精液まみれの舌を出しました。
私は機会がある毎に、娘の店に出かけ、金が許す限り、娘の口で射精しました。
私が半年ほど通った頃、娘は突然店をやめてしまい、他のバイトをする様子もないまま卒業し、普通のOLになってしまいました。
その後、娘は遅い結婚をし、幸せな家庭を築いています。この連休も旦那と一緒に、孫を連れて遊びに来てくれました。
娘が、私に気付いて店をやめたのかどうかは、未だにわかりません。できれば気付いていて欲しいとも思いますが、生涯謎のままでしょう。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。