母のお尻にタッチをするようになったのは、いつ頃からだろうか?『もぉ~、触らんの!』としか言わない母に、調子にのってよく触っていました。
スキンシップというより、からかうのが目的でした。『ゴメンゴメン。わざとじゃないから。』と言い、母の『ウソばっかり。』で一連の流れが終わる。
ある意味、オープンな家庭で育ちました。そんな僕の行動を見ても、『俺の嫁やぞ。あんまり触るな。』と半分冗談で返してくる父に似たのかも知れませんね。
52歳になる母の浩美だが、期待するほどの女性ではない。頭の上から足の先まで、ただのおばさんである。歳を重ねるに連れ、体重も尻も増量されてきている。
高校2年生くらいだっただろうか?からかい目的だったはずの母へのタッチ。性へ興味ばかりのこの時期から、どこか意味合いが変わって来たんです。
母とは言え、女性です。女のお尻を普通に触ることが出来る優越感。友達を思うと、僕は先を進んでいるとさえ思ってしまいます。
高校を卒業前に、大黒柱である父がこの世を去りました。父は膀胱ガンではありましたが、最後は医療ミスで亡くなりました。病院側は認めませんでしたが。
あまりの突然の死に、母は取り乱し、泣きじゃくっていました。母を目にし、逆に僕は泣けませんでした。『しっかりしないと。』と思ったのかも知れません。
葬儀で、最後に母は泣きわめき、僕にすがりついて来ました。その母をしっかりと抱きしめてやり、母の身体や匂いを確認する程に冷静でした。
初めて、女性を抱きしめたかもわかりません。支えるというよりも、『女性を抱きしめるってこんな感じなのか。』と楽しんでいた部分もあります。
火葬場に着いても、点火スイッチを押し、母がすがりついて来るのを待ちました。『ああ~ん!父ちゃん~!』と泣きながら、僕にすがりついて来ました。
親戚一同からは可哀想と思われているかも知れません。しかし、そんな状況で、僕は母の身体を抱きしめて楽しんでいました。
それから1ヶ月。母は毎日泣いていました。気が緩むと、父を思い出してしまうのでしょう。父が居なくなり、家の明かりが消えてしまいました。
そして、父が亡くなり、54日の夜の事です。
母は戸惑っていました。僕の半勃起したアソコを見ながら戸惑い、身体の動きが止まったのです。
僕は母の腕を掴まえたまま、母の次の行動を注意深く見ています。最後は『仕方ないかぁ~。』と言う顔をした母は、ゆっくりと僕のチンポを口に含みます。
僕は一気に快楽に襲われ、ベッドに座っていられなくなり、身体を倒します。倒れきるまで気がつきませんでした。
僕の右手は、鳥の巣のような母の髪を掴んでいたのです。かなりの強さで母の髪を引っ張ったと思います。申し訳ないとさえ思ったくらいです。
静かな部屋の中で、母の口から出る『ジュボ…ジュボ…』という音だけがしています。僕に髪を強く握られ、それでも母は始めた行為を止めませんでした。
母が『ウッ!』と言い、顔を離して、手で口を押さえる。そして、僕の股間から飛び出る液体を、もう片方の手でブロックするように受けとめていました。
発射を口で受けとめててしまった母は、慌てて顔を離す途中で、放物線を描く僕の液体を避けきれず、母の頬をかすめてしまった。
その通りに母の左の頬に、前から後ろに液体が走った後があった。母の手にブロックされた液体ははね返り、僕のチンポと陰毛を濡らし続ける。
僕の射精は、なかなか止まらなかった。知らない間に母の右手が僕のチンポを握り、僕の精液でベトベトに汚れながらも、最後まで動かしてくれたからだった。
射精が終わると、母は短時間で現実を受けとめて、何も言わずに子供の股間の掃除を始めました。シュッシュッと拭き取られ、きれいになっていく僕の股間。
僕が触ると、何もなかったようにきれいになっていました。ただ、男のあの匂いをだけは残っていましたが。