マスター
元カレが証人になってくれたおかげで、僕は『あいこ』の公式恋人になりました。普通の順序とは真逆ですけど…。後々、どんな面倒臭いコトになるかなんて、この時の僕は、ちっとも考えていませんでした。ホント、今でも面倒臭いです。
『あいこ』が足を離すと、『ショウたん』はネズミ花火かロケット風船のように、『シュシュシュシュシューッ!』といなくなりました。『シンゴ』と『ハラニシ』も、いつの間にか消えていました。
「行くぞ。」
僕の味わった『あの恐怖は、なんだったのか?』と思わせるほど、夕焼けに染まる街は平穏無事で、明日の風が吹き始めました。その中を惨劇の当事者が、何事も無かったかのように歩き出しました。
歩きながら、また『あいこ』がメールを早打ちしてました。ブラインドで打っては返信をチラ見して、またブラインドで打ってたので、バカ姉とメールしてるみたいでした。
そんな『あいこ』に引っ張られながら、僕は線路沿いの道をついて歩きました。不意に『あいこ』がフッと角を曲がると、『純喫茶〇〇〇〇』と書かれた喫茶店が現れて、そこに何にも言わずにフラッと入って行きました。
『あいこ』が入口を開けても、誰にも何にも言われないので、『誰もいないのかな?』と思いました。ところが、僕が入口をくぐると、
「いらっしゃいませ。」
と、カウンターからひょいと、男の人が顔を出しました。いかにも『マスター』って感じの、似合わないヒゲを生やした人でした。何となく見た事ある顔だったんですが、僕は思い出せませんでした。
お店の中は狭くて、カウンター席の後に、四人掛けテーブルが二つ、離れた場所にもうひとつありました。お客さんは僕たち以外、誰もいません。
『あいこ』はカウンター前を素通りして、一番奥のテーブル席にドサッと座ると、当たり前のようにタバコに火を点けました。僕は『ヤバいよ…』と思いましたが、お冷やを運んでくれた『マスター』は無言でした。でも、
「何にする?」
と、『あいこ』を差し置いて、僕にだけ注文を取りました。
『…ヤバいよ、おじさん!』
と、僕は焦りました。また『猛獣』が暴れ出さないか、内心ヒヤヒヤです。小遣いも乏しかったので、こっちもヒヤヒヤでした。どうしようか迷っていたら、
「…頼めよっ!」
と、『あいこ』が急かしました。しょうがないので、『アイスコーヒー』と頼みました。やっぱり『マスター』は『あいこ』の注文を取らずに行ってしまいました。
『うわっ! また、チャレンジャーだっ!』
僕は、さっきから『あいこ』を完全無視した、この『マスター』の挙動に焦りまくってました。ついさっき『ショウたん』が現れたので、また修羅場が繰り返しされるのかと思ったら、肛門がキューッと痛くなりました。
でも『あいこ』も『マスター』を何とも思ってない感じで、タバコをふかしながら、右足をイスの上に立て膝にして、平気でパンチラしてました。ちょっと横向きで、僕の方は見てないけど、ワザと『覗かせてるな…』と思いました。
店の中はけっこう居心地がよさ気でしたが、僕は全然落ち着けませんでした。銀色の三角が気になって仕方なかったからです。暗めの店内照明なのに、やけにクッキリ、ツヤツヤ、モッコリと、強調されて見えました。
『ハラニシ』を倒した時に見せた、銀色のお尻と、お風呂場で覗かれた時に見えた、銀色が黒く染みるアソコが思い出されて、僕の海綿体に『ジュルルル~ッ』と血流が集まり出しました。
さっきの惨劇があっての今で、銀色のパンチラから、虚しい妄想を掻き立てる中2は、ホントにバカですけど…、『盛んじゃねえ~ぞ』って言っておきながら『パンチラ』ってのも…、どういう神経なんでしょうか?
『あいこ』が終わりかけのタバコを摘んで、立ち上る煙をジッと見つめてました。僕はそれが物凄く怖くて煙くて、ドキドキしてたら、無意識の内にお冷やを一杯飲み干していて、さらに煽ったグラスから氷を飲み込んで、ノドに引っ掛けてしまいました。
僕が『ムゴッ!』とむせて吐き出した氷が、『コンッ!』とテーブルに跳ねっ返り、こともあろうか『あいこ』の顔面に向かって跳びました。
一瞬でアドレナリンが出まくった僕の脳に、氷の動きはスローモーションに見えました。『当たるーっ!』と最悪の結果を想像した時、『あいこ』が事もなげに、摘んだタバコで跳ね上がった氷を突きました。
氷はまたテーブルに跳ね返り、僕のどこかに当たって、床をカラカラッと転がって行きました。
「…何やってんだよ?」
当然『あいこ』が僕を睨みました。僕はすぐ『すみませんっ!』と謝りたかったのですが、氷を引っ掛けたせいか声が出せません。ガタガタ震えていると、
「面白かったな~、今の。彼氏がコップで受けたら、もっと面白かったな~。」
と、言いながら、『マスター』がアイスコーヒーと、パフェと、メロンソーダを運んで来てくれました。
「んなセンス、『ともスケ』にあるワケね~よ!」
『マスター』のセリフに、お互い無関心みたいな感じだった『あいこ』が、リアクションしました。すると『マスター』が、
「なんだ、『ともスケ』ってあだ名に変わったんだ? 『「ともゆチ」ちゃん』で良かったんじゃないか?」
と、意外なコトを言い出しました。その言葉に僕は『あっ』と思いました。
『そ~言えば…、「ともスケ」って呼ばれる前に、「ともゆチ」って言われてたっ!』
どのくらい前だったか、多分、姉が僕に初めて『あいこ』を紹介してくれた時、『ともゆチ』って呼んでいた記憶が甦りました。ホンのちょっと前のコトなんですが、随分昔のコトに感じられました。
「くだらねぇ~コトは、良く覚えてんだな~。『ヨロじぃ』は。」
『あいこ』が言った『ヨロじぃ』の一言で、僕はまた『あっ!』と思い出しました。
『ヨロシクさん』だっ!
『あいこ』のお父さんが身体を壊す前までやっていたお店を、手伝っていた伯父さんがいたコトを思い出しました。
「あっ、その顔は~? さてはオレの事忘れてたなぁ、『ともっチ』!」
無駄なヒゲのせいで気がつきませんでした。『ヨロシクさん』しか使わない、『ともっチ』を呼ばれて、改めて確認しました(ホントは別なあだ名を呼んでいます)。
「あっ、どうも、お久しぶりです。ご無沙汰してました。」
「ぶりぶり過ぎだね~。どうしたの~、今日は?」
「あっ、…僕、今日から、『あいこ』さんと、付き合わせてもらえるコトになりましたっ!」
僕は立ち上がって、『あいこ』の『お父さんの、お兄さん』に、まず挨拶をさせてもらいました。『ヨロシクさん』こと『マスター』は、
「あっ、そう~? 長いね~、長かったね~? 『誰かさん』が、本命に辿り着くのが。まっ、面倒臭いだろうけど『あいこ』を『ヨロシク』!」
『マスター』は昔とちっとも変わりなく、全然似てない『矢沢永〇』の真似をしました。