私も中学生になり、いつまでも家族一緒の部屋に眠るのも問題があると母も考えていたみたいです。
そこに祖父の痴呆症がきっかけとなって、父の実家での同居が一気に決まってしまいました。
母は同居には同意したものの、結婚当初に祖父母から受けた仕打ちを許す事は出来なかったみたいで、痴呆症で行動の全てが危うい祖父の介護を一切しようとしませんでした。
父は相変わらず週に1~2度しか帰って来ませんでしたから、祖父の世話は自然と私の役目になってしまったんです。
私は学校から帰ると祖父と弟、妹の世話に追われて勉強など全然出来なくなっていました。
部活も辞め、友達と放課後遊び歩く事もなくなり、それどころか祖父の世話の為に学校に行けない事もしばしばでした。
それまで常にクラスの上位だった成績も通知表をもらう度に下がっていきました。
担任が心配して家に来た事がありましたが、両親が不在の上祖父と弟達の世話でろくに話しも出来ない私を見て、溜め息と共に帰って行きました。
そんな毎日でしたが、父とのセックスは続けていたんです。
不思議な事に祖父の世話で追い回されるようになった頃から、父とのセックスで感じるようになってきました。
父のペニスを挿入されると、それまで経験したことがない快感が何度も何度も押し寄せて、気が遠くなるくらい感じるようになったんです。
それまで以上に父の帰りを待ちわびるようになるのと同時に、母や弟達に対するケアは薄れていたのかも知れません。
それにオナニーも以前にもまして頻繁にするようになってましたし、得られる快感が深まるのに比例して、オナニーのしかたも私の反応も激しくなって行ったんです。
そんな中、祖父の痴呆症は発病当初の対応の不味さからか、この時期急速に悪化して行きました。
そのうち祖父は下の方の失敗も多くなって、オムツが必要になりました。
それに家族の区別もあやふやになって行き、自分の一人息子である父の事さえ分からなくなってしまったんです。
毎日世話をしている私の事は忘れませんでしたが、いつ頃からか私のことを死んだ祖母の名前でマキと呼ぶようになっていました。
ただ頭は呆けても身体の方はいたって元気でしたから、ちょっと目を離しすとすぐに何処かへ行ってしまい、探すのに苦労しました。
その後、私が学校へ行ってる間だけは近くのディ・ケアセンターに預けたり、介護師に来て頂いたりで学校を休む事は少なくりました。