今更ながら、夏休みの報告です。 叔母の一週間の夏休みに合わせて、僕も同じ日程の夏休みを取りました。(今はアルバイトをしてます) 母が叔母に(僕の帰省の時一緒に)遊びに来るようにと以前から誘っていたので、7日間の夏休みのうち4日間を僕の実家で過ごすことになったのです。 しかしこれには僕も叔母もかなり戸惑いました。それは4日間も一緒に過ごしていれば、僕と叔母の関係が「何かおかしい」という疑いを両親に抱かせてしまうようなボロが、どこかで出てしまうのでは・・・という心配です。そしてその心配はほとんど僕の方にあるもので、例えばアルコールが入って気が緩んだ時の言動や、既に無意識の動作となっている叔母の体への接触(胸を触ったり、お尻にチンポを押し付けたり・・・)、「お~い、ゆみ子~」と叔母の名前を呼び捨てにしてしまう癖、等々・・・。果たして4日間ボロを出さずにいられるかどうか、自信が無いまま叔母と一緒に帰省したのです。 さすがに1日目は問題無く過ぎましたが、2日目の夜、早くもちょっとヤバい事が・・。 皆でリビングのソファーに座ってビールを飲みながら夕飯を食べていた時の事。 僕は途中でトイレに行き、戻って来た時に・・・。 家のソファーは2人掛けが2つと3人掛けが1つという組み合わせで、3人掛けには両親が座り、あとの2人掛け2つに僕と叔母がそれぞれ別れて座っていたのですが、トイレから戻って来た僕は、無意識に叔母が座っている方のソファーに行き、そのまま叔母の横にドサッと腰を下ろしてしまったのです。そしてその直後の本当にヤバい動作に入る前に自分で気付いたため、その後何とかごまかすことができたのです。 僕の過去の投稿を読んだ事のある方は「本当にヤバい動作」が何なのかピンと来たかも知れません。それは叔母の体に手をまわす、という動作です。 普段、叔母の部屋のソファーでは腰を下ろした瞬間、叔母の肩に腕を掛けたり、腰に手をまわして抱き寄せたり、胸元から手を差し込んだり、という動作がもう習慣になっているので、そのときも無意識に手が動きそうになってしまったのです。 すんでのところで気付いたから良かったものの、1秒でも気付くのが遅れていたら、両親の前で叔母の胸を鷲掴みにしていたかも知れません。「ありゃりゃ?これ叔母さんのイスだったか~」と、少しおどけながら、いかにも酔った足取りで自分のソファーに戻り、事無きを得たのです。本当に焦りました。 また実家に居る間中、勃起が収まらずに苦労しました。 いつも自由に好きなだけ抱いている叔母を目の前にして指一本出せない「おあずけ状態」は、想像以上に苦しいものでした。 叔母は20代の頃、某デパートで案内嬢をしていたことがあって、41才とはいえさすがに普通のオバさんよりはキレイでスタイルも良く、中年太りの母とはかなり違います。 父や母と笑顔で話す叔母の表情や仕草を見ているうちに、(あぁ、早く東京に帰って抱きてぇ~)と痛いくらいビンビンに勃ってしまい、股間の膨らみを隠しながら歩くのに苦労しました。 3日目はもう、叔母と2人きりになる方法ばかりを考えていましたね。たとえ10分でも2人きりになれれば、手と口で抜いてもらえると思って。(長いことオナニーをしていなかったせいか、自分でシゴいても射精までいかなくなっているのです) 夜は母と叔母が同じ部屋で寝ているし、日中も父か母のどちらかが家に居てなかなかチャンスがなかったのですが、夕食前に突然そのチャンスが訪れました。ビールの買い置きが少な
...省略されました。
13年前の夏に信州へ来たとき、朝のパチンコ店で掃除をしている中年女性。真っ赤なTシャツの胸を突き上げるようにしている巨乳が忘れられず。毎日、店へ通ううちに挨拶をするようになり。自然と話し合い。いつの間にか掃除が終わったら会うになった。
そのときは互いに意識をしていて、女性の車で山間に入って
車を止めると、無言のまま抱き合ってキスをしてから、ずっと思い続けていた乳房を揉むと強い弾力があり。我慢できずにシャツを脱がせてブラを外すと、目の前に90
㎝を超える形のよい乳房が現れ。片方を揉みながら乳首に吸い付くと、女性(槇子)は、ア~っと声を上げて身体をくねらせながら僕のGパンのチャックを下げて硬くなった物を出して掴むと、何度も上下に刺すってから、かがむようにして口に含み。その間も僕は槇子の両の乳房を揉み続け。5分ほどして車内で肉体関係を結びました。
その後も、人妻の槇子と週に一度のペースで会うと、ホテルや車内。そして山の中では外でセックスをしています。
槇子は46歳。僕は37歳。いつまで、このような関係が続くのか不安と、いつまでも。との気持ちが綯い交ぜになっています。