管理者様へ
いつもお世話になっています。
携帯からは長文は書き込めないようですので分割してます。
前回と同じように編集して一投稿に纏めて下さるようお願いします。(此処までは削除して下さい)
次姉や和枝とのセックスが最初から上手く出来たのは、それ以前に三女の姉とセックスを経験していたからで、今回はその事を書いてみます。
小学四年生くらいまで両親の部屋で母と一緒の布団に寝ていたのですが両親のセックス中に父と目が合ってしまい、それ以降三女の姉と同じ部屋で寝るようになり
2年ほどは何もなく布団を並べて寝ていましたが、6年生になった或る日の夜中に目が覚め隣に寝ている姉に女を感じてしまったのです。
寝ている姉の布団に手を入れて触れるか触れないかみたいなギリギリのところでカラダを弄り、手を差し入れた布団の隙間から女の匂いが漂い出て、私は自制心?を失いパンツを脱いで姉の布団に潜り込みました。
姉は今で言うキャミソールみたいな下着とパンティだけで寝ていたので直接乳房に触れることが出来、下着を捲り上げて乳首を吸ったり舐めたり、、、。
たぶん姉はその時点で目が覚めていたのでしょうが最後まで寝たふりをしていました。
大柄でぽっちゃりした姉の乳房はゴムまりのように柔らかく、その夜は乳房を揉んだり舐めたりしているだけで射精してしまいました。
その瞬間強烈な罪悪感に襲われ、姉の布団の中に精液を撒き散らしたまま自分の布団に逃げ帰り、朝方まで不安な気持ちで眠れずにいました。
朝になり皆のいる居間に行くのがとても怖く、何か言われるのでは?とオドオドしながら食事をしてましたが三女の姉も母も普段と変わらない感じでした。
そしてまた夜になると罪悪感も自己嫌悪も忘れ去り、欲望だけに支配され姉の布団に潜り込んでいきました。
2、3日ほどそんなことを繰り返していましたが、とうとう姉のパンティの中に手を入れてオマンコに触れることが出来ました。
美容室には女性週刊誌が沢山あり、セックス記事が豊富に載っていますから、それを隠れ読み性知識だけは大人並みにあって
オマンコの構造や愛液などはしっかり理解していましたから、優しく陰毛を指で掻き分け小陰唇に触れたのですが、、まさに洪水のようにビショビショに濡れていました。
私は布団の中で姉のパンティを脱がせ足を開き間に入りましたが、一応寝たふり?をしている姉の足は意外に重かったことを覚えています。
溢れる愛液はお尻の下のシーツを濡らし、私は湧き出るそれを舌ですくい上げるように膣口を舐めまくりました。
そして息苦しさもあって姉のカラダを這い上がり、姉の唇にキスをしていきり立ったチンコを愛液の溢れ出る膣口にあてがい静かに挿入していきました。
寝たふり?をしている姉の口から微かに声がしたのですが、それが悦びの声なのか苦痛の声なのか分かりませんでした。
挿入して数回抜き差しを繰り返すと、あっ!という間に射精してしまい今までの興奮や快感は急激な罪悪感に変わり
急いで自分の布団に戻り親にバレたり姉が妊娠したりしないか、そんな不安な気持ちのまま眠れずにいましたね。
隣の姉はトイレに行くふりをしながら汚れを拭き取ったり、身繕いをしたり乱れた布団を直したりしていました。
二日ほどは罪悪感や自己嫌悪に陥るも、また夜中にモヤモヤした気持ちが沸き起こり、素っ裸になって姉の布団に潜り込んで行くのでした。
しかし妊娠の恐怖?が頭から離れずコンドームを買いに行く勇気も無く、もし妊娠したら姉と二人海に身を投げることまで思っていました。
それでも姉のカラダを貪り続けて膣外射精が出来るまでに成長?しましたが、快感に負けて中出ししてしまうことも度々でした。
ある夜いつものようにクリトリスを舐め回していると、広げた脚が私を挟むように閉じて上半身が僅かに起き上がるような感じで小さく声を発しました。
寝ているふりの姉が初めてイッた瞬間でした。
私は挿入した指で膣壁を軽く叩きながらクンニリングスを続け、身悶える姉のカラダを抑えつけるように腰を抱きしめていました。
そのとき身を起こして姉はオマンコを貪る私の顔を離すように優しく手を添えて「早く愛して」と言ったのです。
私はその言葉がすべてを許してくれた姉の気持ちと理解し不安や罪悪感が吹き飛んで、姉を愛おしむようにセックスするようになりました。
姉も寝たふりを止めて下から私を抱きしめ、脚を絡めて腰の動きを合わせるようになり、何度も絶頂に達するようになりました。
しかし大人のカラダをした次姉や三女の姉と同い年ながらも、とても魅力的なカラダをした和枝とのセックスに溺れた私は
二人に比べ幼さが残る三女の姉とのセックスに関心が薄らいでいきました。
幸運にもそれまで三姉は妊娠することはなく、次姉が働いているときに(和枝が追い出されてから)私の部屋で年に一回か二回ほどセックスをするだけになり、私が高校を卒業してからは一度か二度セックスした記憶がありますが、その後はまったくしなくなってしまいました。