[姉とセックス]の続きです。
高校から帰るといつも美容室にお客さんが居て、姉と見習いの和枝は忙しく働いていましたが
時々お客さんが居ないときもあり、その時は姉と和枝とで私を取り合いみたいな感じになってしまいました。
私としては姉より和枝のほうが魅力的なカラダでしたので、和枝とセックスしたかったのですが
使用人の和枝は姉が私の部屋に居る間は絶対に二階には上がってきませんでした。
姉とのセックスはやはり近親者のせいか異様に燃えるものがありまして、最後は正常位で終わるのですが
いつもコンドームは外れて膣の奥深いところに(置いてけぼり)になっていました。
それを私が人差し指と中指とで深く差し込み取り出していましたね。
そんな行為を姉は微笑みながら見ていました。
姉はセックスした後も私の部屋から直ぐには出て行かず、和枝の邪魔をしているのはあからさまに分かりました。
でも、丸みを帯びた和枝の身体はとても魅力的で、和枝の全裸を見ただけで射精してしまいそうなくらいでした。
そんな和枝とは皆が寝静まったころに和枝の部屋とか私の部屋でセックスしていました。
和枝は私のために(か、どうか分かりませんが)バリカンで陰毛を短くカットしていました。
バリカンで切るとチクチクしないそうで、和枝のオマンコを舐めるには陰毛が邪魔にならず最高でした。
そのことを姉に言いましたら姉は陰毛を全て剃ってしまい、オシッコを漏らすまで私に舐めさせました。
そんなことが数が月続いたあとに、とうとう姉は和枝と大喧嘩をして和枝を追い出してしまいました。
和枝には数人の男友達がいたようですから、私みたいな子ども相手をする必要もないわけで
姉には私しか居ない悲しさもあり、私は姉に尽くす(と云うより姉だけを犯す)ようになりました。
いつもコンドームが外れるくらい激しくブチ込み、姉ははばかることなく歓びの声をあげていました。
それは階下にいる母にも聞こえていたことと思いますし、私が初めてセックスした三女の姉にも聞こえていたと思います。
そんなムチャクチャなセックスをしていましたから当然のように姉は妊娠し、母と一緒に遠い町に出かけて堕胎してきました。
二度妊娠して堕ろしたあとに、姉はリングを入れたようで、私にコンドームを着けなくてもいいよと言ってくれました。
姉とのセックスは途中からコンドームを着けてするのですが、姉の強烈なグラインドで外れてしまい
毎回「生挿れ中出し」みたいなものでしたから、「コンドームを着けなくてもいいよ」と告げられてもそれ程の嬉しさは無く、ただ面倒臭さがなくなったと思っただけでした。
和枝が居なくなってからの姉とのセックスは、昼でも夜でも姉のしたいときに私の部屋でセックスしていましたが
姉の"イった"ときの声がかなり大きく隣近所の人たちにバレているような気がして、周りの視線が私をあざ笑っているように思えました。
姉のカラダはどちらかと言うと筋肉質な感じで乳房もさほど大きくなく、私には持て余すことがない丁度良いカラダだったのでしょうが
和枝のカラダは白く柔らかく丸みがあり、大きな乳房に顔をうずめていただけで射精してしまいそうで
何よりも和枝はセックスしている間中私を見つめ、イク時も目を見開いたまま「うぅ~、、!」と小さく唸るだけで私にはそれがとても可愛いく思えました。
和枝が出て行ってからは少しの淋しさと姉に対する怒りもあり、時々姉の誘いを断ると寂しそうにしゃがみ込んでしまう姉が愛おしくも思えました。
そんな姉の前に立ちズボンとパンツを下げると、少しだけ恥ずかしそうに微笑みながらフェラチオをしてくれます。
でも姉はフェラチオが好きではなく、しかも下手でした。
それでもギンギンに硬くなったチンコに姉は早く挿入して欲しいのか、自らブラジヤーとパンティだけを残して服を脱ぎ捨て、敷きっぱなしの布団に潜り込むのです。
私も服を脱ぎ布団に入ると脱いだパンティを握りしめて姉がキスをしてきます。
私はキスをしたまま姉の背中に手を回しブラジヤーを外そうとするのですが、いつも上手く外せず姉は後ろ向きになって外させました。
そんな姉を後ろから抱きしめ首筋に舌を這わせ乳房を揉みしだき乳首を弄くり回し、片足を上げさせオマンコに手をやると
お尻から太ももまでヌルヌルの愛液が溢れ出していました。
痛いほどに勃起したチンコを後ろから突き挿れると、姉は振り向くようにしてキスを求めてきます。
四つん這いになったり騎乗位になったり、、、その頃の記憶では駅弁ファックがシメでした。
156cmの身長でとても軽い姉は駅弁ファックも楽々でしたが、深く挿入されたチンコの先が子宮口に擦られ、余り長持ちせずに射精してしまいました。
それでも姉も同時にイッてましたから二人にとってはピッタリの体位だったのでしょうね。
そんな激しい行為が終わり暫くすると、一階から姉を呼ぶ母の声がするのです。
母は姉の中絶に二回立ち会い、そしてリングの装着も医師にお願いしたことで私と姉との関係を許したのでしょうね。
母はもう亡き人ですからその時の事を聴くことも出来ませんが、姉の話では「二人が夫婦になれば一番良いんだけど、、、」と言っていたそうです。
姉との関係は私が高校を卒業するまで毎日のように続き、その後は帰省した時に二人狂ったように求め合いました。
実際狂った行為でしょうが、何にも代え難い素晴らしい歓びでした。
その姉も28歳で隣町のサラリーマンと結婚しましたが、その義兄は若くして病死し
36歳になった時に相手方から戸籍を抜き今は私と一緒に暮らしています。