2LDKの団地で、寝室は和室一室で狭い6畳、僕と妹が一つの布団に、
父と母が一つの布団で同じ部屋に、二つの布団を並べ、
物心ついた頃から妹と名前(春菜)ずっと同じ布団で寝かされていた。
両親の直ぐ横で寝ていたので、父が母の上に乗り重なりあっているのを見
ていたが幼かったせいもあり、
それがセックス行為であるとは知らなかった。
友達から両親のセックス見たと聞かされても自分の両親だけは、
セックス行為なんかしていないと思っていたが、
父が母の上に乗り激しく腰を上下に動かす度に母が、
アッアッと喘ぎ声を、
発しながら必死に耐えているようにも聞こえた。
初めて見た時は両親もやはりセックス行為するのかと、
ショックを受け不潔な感じだった。
度々しているのを見ていると、
母は、アッアッと声がしていて、セックスよくするなあ・・・、
(どんな快感で気持ちになるのかも知らず)
仲良くて抱き合っている、
程度の気持ちで見るようになって余りショック受けなくなり
直ぐに背を向け、
隣で、よく眠っている可愛くてたまらない妹の(春菜)を人形のように
抱いて、いつの間にか眠ってしまっていた。
(当時の僕には、妹(春菜)は可愛、マスコット人形同様の宝物だった)
僕が8歳になった時、父が新築の広い家を購入して引っ越してくれた。
僕の部屋と妹の部屋が2階に与えられ。
両親は1階、僕と妹は2階の廊下を挟んだ別々の部屋が与えられたが、
妹(春菜5歳)が、一人で寝るのは寂しくて怖いお兄ちゃんと、
今までのように一緒に寝ると言って泣いて離れず、
仕方なく、引っ越し前と同じく、同じ部屋で寝ることになった。
(最初は別々の部屋にベーットを設置していた。)
2段重ねにもセットできるベーッドだったので、
父が仕方なく同じ部屋に、2段ベーッドに設置しなおし、
僕が上段、妹が下段、
一人では寂しがって寝ないので同じベーッドで添い寝し、
安心して寝付いたあと上段で寝るようにしていたが。
今までの習慣から隣で、そのまま同じベーッドに朝まで身を寄せ合って
眠ってしまうことがほとんどで上段はあまり使う事はなかった。
寝室が暗いと怖がるので薄明かりにしている。
部屋の片隅に2人で見るための、
テレビとソファー(背を倒せばベッドにもなる)を、
置いてもらって共同二人で見ている。
妹が入る予定だった部屋には、
2人の勉強机と学用品を置いて2人の共同勉強部屋として使っている。
勉強も見てやれるし案外重宝な使い方かも、
聞かれて知らないでは兄として恥じなので聞かれても即答できるように普
段から勉強もがんばっている。
幼い頃から母と3人でお風呂に入っていたためか、
僕が8歳になっても、お兄ちゃんと入ると言って5歳の春菜は母と入ろうと
しなかった、
僕が入っていると直ぐに後を追って入って来ていた。
仕方なく体を綺麗に洗った後、髪を綺麗に洗ってやっている。
困った子、何時までお兄ちゃんを頼るの、自分の事は何でもできるように
ならなくては駄目じゃないしっかりしなさい。
(母が時々怒ることもある)
だって母さんと、お風呂入っても髪洗ってくれないじゃないの、
お兄ちゃんだったら、
髪も毎日綺麗に洗ってくれるからお兄ちゃんの方がいいと言って母と入ろ
うとしない、
7歳になった今でも同じく僕と入ると言って
すぐに後を追って入ってくる。
小さい時から母にから、
毎回不潔だからと言ってチンチンを剥いて洗わないと不潔だからと
剥かれて初めの頃は痛かったが今では痛みもなく
簡単に剥けるようになっている。
毎回頭の髪洗う事と、チンチンの皮を剥いて洗う事は習慣つけられおり、
妹が浴槽の中からじっと見ていても、ごく当たり前のように剥いて洗う。
妹にはスポンジにソープ液を浸して身体全体を軽く洗った後
妹にチンチンは付いていないので剥いて洗えない(笑い)
縦に細く割れ目が見えるだけだ、ソープ液を素手に付そっと軽く股を開か
せ傷付けないよう丁寧にゆっくりと擦るように洗ってやると、
じっと股を開いて人形のように動かなくなる。
痛くないかと、聞くと、ううん痛くない、
とっても気持ちいいと言いながら喜んで洗い終わるまでじっとしている。
僕が居ない時、
母と入ったようだが自分で洗える処は自分で洗いなさいと、
言って背中部分だけしか洗ってくれず、
髪も自分で洗いなさいと言って洗ってくれなかったらしい。
下半身も洗ってくれず自分で洗ったようだ、
それが母と入らず丁寧に、髪と下半身を洗ってくれるのが気持ちいいらし
く僕と入る理由のようだ。
風呂を、あがった後も、ドライヤーで髪乾かすのも自分ではできないので
乾かしてやっている。
当たり前のようにほとんど毎日していることなので別に苦にはならない。
春菜は、幼い頃から一度眠ると、
朝まで、どんなに揺すっても目を覚ます事はなかった。
その為か時々お寝小便することもあった。
お寝小便した朝は抱きかかえるとパンツが濡れていて、
お兄ちゃんオシッコ出たみたい、
お母さんに怒られる、悲しそうな顔して今にも泣きそう、大丈夫、
お母さんに内緒にしてあげるから早く着替えて階下に降りようね。
(同じ部屋のクロゼットに下着衣類は全てまとめ入てれあったので)
下着はクロゼットから出して着替えさせてあげたことも度々在った、
(濡れた下着はパジャマに包んで母に、
直ぐに見つからないようにかくして洗濯籠に入れてやっていた。)
母が後で濡れた下着に気が付き、春ちゃん今朝もお寝小したの、何時に
なったらしなくなるのかしら。困った子ねと嘆く事もあった。
(母に叱られると悲しそうな顔している時)
気にしているから可哀そうだから怒らないでと、言ったら、
お兄ちゃんがそんなに甘やかすからいつまで経っても、
この子は、お兄ちゃんを頼って傍から離れようとしないのよ。
お寝小便癖何時になったらしなくなるのかしら、
困ったこねと嘆いていた。
同じ所に、寝ているのだから、
夜中に一度は起こして、トイレに行かせて頂戴と言われ、
気が付いたときは春菜ちゃんトイレに行こうねと言って
抱き起し連れて行くようにている。
学校に行くため、6時には目覚まし時計で起きなければならい。
月~金曜の朝は僕が起きた後、直ぐに、(春ちゃん)朝だよ、
起きる時間だ、優しく両手で抱き起こして洋服に着替えさせ、階下に2人
で降りるのが日課、1日の始まりだった。
3年を過ぎて僕が11歳になった6月暑い日の夜、
(飲み物は寝るとき2階寝室に持って上がっていたが、
その日はたまたま忘れていた。)
11時頃お茶が飲みたくなりリビングに降りて見ると両親の部屋のドアー
が少し開いており母の声
いつもとはと少し違った、ススリ泣くような母の声がしていたので、
そっと覗いて見ると両親が丸裸で母が上、父が下に重なり合い、
母が父のキンキンに勃起したシンボルを口に咥えて、
上下に動かしていた。
反対に父が母の開いた股間に顔を埋め舌で舐めている
様子がはっきり見えた。
その後、体位を変え母が仰向けになり両足を大きく開いた、
父が上に乗りキンキンに勃起した、シンボルを今まで舐めていた
オマンコに、入れると母がアッアッと声を出して、
母が父の両足に絡ませ激しく
腰を上下に動かしている姿が薄明かりの中見えた。
抱き合ったまま、動きを止め小さい声で何か話しているようだった。
そのあとも何回か動きを止めては抱き合って、
上下に腰を動かしては止、又腰を動かす行為を繰り返していた。
引っ越し前、
以前からしている事は知っていたが、
こんなにもはっきりと見えたのは初めて、
3年振りに見る光景に凄く驚いた
暫く、見ていたが、セックスに夢中の両親は僕が、
見ている事に気が付いていないようだった。
相当長い間、セックス行為の光景に見入って経過時間は覚えていない。
普段の両親の行動からは想像もできない激しい、
セックス行為を見てしまい驚いたのと、
以前と違って僕も興奮し僕のシンボル(チンボ)も刺激を受け勃起キンキ
ンになっている。
両親のセックス行為見ても幼い頃は興奮なんかしなかったが。
3年振り11歳になって見た両親の激しいセックス行為現場を見て、
好奇心から、興奮し高ぶった気持でそっとその場を離れ
自分の部屋に戻った。
今見た父母の光景に刺激を受け勃起は納まらず寝られなかった。
(その当時は11歳、自分でオナニー行為することは全く知らなかった
又そんな気持ちを持ったこともなく性欲なんか起こったこともなかっ
た。)
僕もその時は父がしていたように、
母とセックスしてみたいと思いながら、
よく眠っている春菜を抱いて横になったが
興奮してキンキンに勃起したチンボは納まらなかった。
長くなるので此の続きは後で書きます。