皆さんのように話風?物語り風に書くのが苦手なので淡々と書いて行きます。若干うろ覚え部分もあるので、多少は時期等間違いがあるかもしれません。結果を先に書くと、今30歳目前で妹と子供二人の四人で普通に暮らしてます。
まず家族構成なんですが、父、自分、妹の三人です。母は離婚して居ません。母の浮気と借金が原因の為、父が親権持ってます。
父が遠洋漁業での幹部船員の為、日本に居るのが年一ヶ月ちょいだったのも浮気の原因かもしれません。
妹と性行為に及んだのは自分が小五、妹が小四だったかと思います。当時、性に目覚めてて女の体に異常に執着してました。
ネットでその手の単語を検索して動画やら画像を漁ってオナニーばっかしてた記憶があります。
マンコってどうなってんだろう、入れたらどんだげ気持ちいいんだろうって常に考えてたかも。
で、その興味が毎日一緒に風呂に入ってる妹に向かいました。
風呂場で妹を言いくるめて舐めたりして、あまり開き過ぎると痛がったり、指は一本でも痛がりました。
もうその時にはフルボッキ状態で、妹を風呂場のタイルに寝かせて足を抱えて正常位で挿入を試みます。
が、やはり痛がり断念。何度か試みるも無理。しかし一種の暴走状態で何とか出したいと考え付いてフェラを実行。
妹の頭に手を添え、口を開かせ唇を掻き分け挿入、舌を動かして舐めるよう指示を出すと「ひっ!!」変な奇声を出すと穴の口の中に思いっきり射精した。
「あー…」と声にならない声を流しながらトクントクンと射精。出しきった後もそのままでいたら、ふいに妹が舌を動かして舐めました。出したばっかりで敏感な為「うぁ…」と声を出し慌てて口からチンポを抜く。
まずかったらしく妹は精液を吐き出しその日は妹に口止めをし、これで終了。
しかし一度味わったあの感覚を忘れる事なんて出来ませんだ。
二日後にまた風呂場でバスタブに腰をかけ妹にフェラをさせていました。
妹に舐めさせ、射精寸前になったら妹の舌に擦りつけながら腰を振り射精。この行為の虜になってました。
様々なやり方をしてましたが、シックスナインでマンコをべろべろに舐めまわし、膣内に舌を入れながら妹の口内に射精。このやり方に落ち着きました。
ある時、いつものように69で射精した後、それでも収まりつかなくてセックスをしようと挿入を試みるも痛がり断念。
そこで擬似的にでも体験したくて妹の性器に擦り付けてみる。それが気持ち良く、濡れた性器同士をぬるねると擦るうちに、まるで本当にSEXしてる感覚になりあっという間に妹の腹に射精。(後にこれをスマタと知る)
俺と妹はお互いに抱き合い息を荒げながら妹が「お兄ちゃん気持ちよかったの?…私もこれ好きかも」と言った。
俺と妹は完全にこの行為に溺れ、69でお互いの性器を充分に濡らした後妹の足を閉じ、そこに覆い被さりマンコと太ももの窪みに挿入して腰を振り射精。これがひとつの形となっていた。
ほぼ毎日行為に及んでいたある日、思いもよらない事が起きた。
部屋でいつものように擦りあわせていた時、より多くの快感を得ようと、腰を振るストロークを大きくし始めた。
腰を引き、腰を突き出すたびに、妹のヌルヌルした秘部にぶつかった俺のモノがズルッズルッと前にそれたり後ろ(尻)にそれたりしていた。
前にそれるたび(多分クリを刺激したため)妹がビクッビクッと痙攣したため興奮した俺は、腰を強く打ち付けていった。
するとスベッてそれるはずのものが、まっすぐ妹に食い込んだ。
亀頭のみすごく熱いものに包まれ、キツク締め付けられた。妹が俺の手を強く握ってきた。
興奮絶頂の中で、深く考える事が出来なくなっていた。
俺はかまわずそのまま腰を打ちつけ、遂にモノが全部妹の中に入ってしまったのだ。
わけが分からなくなっていた俺は、突然の快楽に酔いしれ、獣のように腰を振っていたと思う。
動くたびに妹の「―ッ、―ッ」と声にならない声を上げていた。
俺はそのまま妹の中に入っている認識が無いまま妹の中で果てた。
しばらく妹の体に上に倒れたまま、体を動かせないでいた。
未だ俺のものは妹の中にあり、時折妹に締められる感覚がした。
「ちょっと!痛かったよ~」と妹に声をかけられ初めて俺は事の重大性に初めて気がついた。
妹が「ちんちん入れたの?痛かったよ~」もはや取り繕う事も出来ず正直に頷き、中で出してしまった事を伝えた。
すると「出しちゃったの?タオルで拭かなきゃ!」といって
枕元に置いてあった処理用タオルを俺に渡した。意外と冷静な妹に拍子抜けしながらタオルを結合部にあてがおうとした。
抜いたとたん、出したものが溢れるような気がして入れっぱなしの状態だった為、妹が腰を浮かせたり、タオルをあてようと動いた拍子にさらに深く入ってしまい、また心地よい締め付けを感じてしまった。
先程まで動揺していた気持ちがどんどん小さくなり、また思いっきり突き動かしたい衝動にかられていた。
「ごめん、またしたくなってきた。このまま動いていいか?」
と聞きながら、すでにゆっくり腰をグラインドさせていた。
妹は「え~」と言いながらも本気で嫌がっている素振りではなく、腰の動きを徐々に大きくすると、またいつものように無言となってしまった。
結合部の下にタオオルを敷き、再度腰を打ちつけ始めた。
一度出してしまったはずが、1~2分程度で限界が来てしまい最初に比べ少量であったが動かしながら精を放出していた。
それでも全く衰えず、そのまま腰を突きいれまた1~2分程度で精を放出した。息も切れ切れの状態となっていたが、妹もかなり激しく息を乱していた。
これが俺と妹の初体験、俺が中一の頃の出来事だった。
その頃には完全にブレーキが壊れてて、リビングで妹と寝転がりながらテレビ見ててムラムラきたら妹のズボンを下ろし後ろから抱き締めながら挿入してSEX。
風呂場、就寝前に布団で、起きたらなど、猿のようにやってた記憶がある。妹が中学に入ってきたら数回だけど学校でやった事もある。
親父が年30日ちょい日本にいる間以外は毎日してたかと思います。
しかし俺が中三なかば頃妹に生理が来てからは自重するようになります。
中出しは安全日のみで、ゴム中出し、イク寸前で抜いての外出し、シックスナインなどをやっていく事に。
この頃には俺と妹は好きあっていました。今思うとですが、これだけ肉体関係があると必然なのかなぁ、と。
ちょっと長くなって疲れたし省略してその後を書きます。
その後関係は続き、高3の終わりぐらいに妹の妊娠発覚で必然的に親バレ。
生理が来ない、色々調べた結果妊娠の可能性が高く、覚悟を決めて産婦人科で検査を受ける→医師から児童養護職員に連絡が行く→親バレ。
未成年だったり妊娠理由が俺みたいな近親や他に教師だったり不倫だったり相手について黙秘貫くと児童職員に連絡行くシステムらしい。
今考えれば初体験から五、六年以上やっててそれまでの間妊娠しなかったほうがおかしかった。性欲猿の時期だし。
とにかくそっから親バレで修羅場。思い出したくも無いです。
そこから親父とギクシャクして俺と妹は家を出たよ。とは言っても高校卒業後の就職決まってたし、当座の資金援助してくれたらからありがたかった。(手切れ金?)
兄妹で婚姻は結べないから子供の戸籍の父親欄は空欄になるんだが、埋めるのにいくつか手段があって、うちはDNA鑑定による証明→家裁で父親認定された。
現在は俺と妹と子供二人の四人暮らし。普通に暮らしてます。