俺の初体験は実母、当時俺中315歳、母40歳、母の友人の息子が超難関高
校へ合格したらしく、その人から、
「思春期の受験生を勉強に集中させるには、母親が性欲処理をするのがコ
ツよ。」
と助言され、最初はオヤジがいないときに手コキ、でも結局、親父が出張
の夜、風呂上がりに母の乳揉んで、手マンして腰砕けになったところで足
開かせて、マンコ舐めた。
そしたら母も火がついて、フェラしてそのまま生挿入。
母のあんなヨガる姿を始めて見て、興奮で出そうになって、
「母さん、出る…」
「抜いて!」
精液が放物線を描いた。
受験が終わるまで、父の目を盗んで母とヤリまくった。
俺が高校生になったとき、父が単身赴任になり、土曜の昼に帰って来て、
日曜の夕方戻る生活になった。
もう、母子でヤリたい放題の日々、毎日、学校から帰ると性服脱いだ俺と
スカートまくった母で一回戦。
飯食って風呂入って二回戦。
寝る前、俺のベッドに母が来て、濃厚に母子でベロチューしながら愛し合
った。
「母さん、母さん…」
「マサル…母さんのマサル…」
直前で抜いて外出し、コンドームは使ったことなかった。
土曜の夜は、父に抱かれる母、嫉妬に狂った。
父が帰った日曜の夕方、狂ったように母に腰を打ち付けた。
罪悪感無はあった気けど、関係が続いていくと、母としてだけでなく、一
人の女として愛するようになった。
少し中年太りで贅肉が弛んでたけど、母のマンコが大好きだった。
大学進学で上京するとき、母のM字開脚のヌード写真撮って、携帯に保存
した。
その後、大学では女子大生に魅力を感じず、バイト先の女社長のヒモにな
ってた。
女社長は閉経五十路、俺は生ディルドにされ、騎乗位で抜かずの二発、三
発と抜かれた。
しかも、お得意様の熟女に貸し出され、まるで男デリヘルのようにラブホ
で腰振らされた。
女社長には、チンポを悪戯された。
100均で売ってる樹脂製の編み針を尿道に入れられ、穿られて尿道マゾにさ
れた。
「ほうら、男性のシンボルえおろゆじょくされてのたうつのって、屈辱で
しょ。」
お得意様の前でやられて、穿れば穿られるほど勃起して、再簿、尿道を穿
られながら射精した。
そうやって、40代から60代の熟女のお相手をしつつ、尿道を凌辱される快
感を仕込まれて、4年が過ぎた。
熟女を歓ばすクンニと腰遣い、そして尿道を玩具にされる男になった。
大学を出て帰郷、母とは距離を置いて、アパートを借りた。
若いOLに魅力を感じず、既婚OLばかり目で追ってた。
そんな時、訪問した会社で応対してくれたOLに一目惚れした。
あまり華はなかったけど、落ち着いた大人の女性って感じで、知的で膳場
貴子アナに似てた。
当時、年齢は10歳上の34歳、お局さんと言われてた。
俺は思い切って食事に誘うと、驚いたような顔をしながらも、
「こんなおばさんでいいの?」
と言いつつ、週末付き合ってくれた。
俺は居酒屋に誘って、思い切って口説いた。
「男性と触れ合うのは8年ぶり…」
と恥じらってたが、これが最後のチャンスとばかりに、何でも受け入れて
くれた。
恐る恐る、大学時代に尿道マゾに仕込まれたことを話すと、いろいろ勉強
してくれて、尿道専用の尿道プラグという金属棒を買いそろえてくれて、
尿道を責められて、挙句、前立腺を突かれてドライオーガズムを経験し
た。
もう、彼女の虜になり、俺25歳、妻35歳で結婚、熟女が好きになった責任
を母が感じてた。
妻の年齢を考え、新婚時代は毎晩中出し、見事妊娠し、俺は26歳でパパに
なった。
妻の妊娠出産の折、8年ぶりに母を抱いた。
「マサル、マサル、母さんもう終わったから、マサルの精液、中に頂
戴…」
俺は、父の中出し精液が残る母のマンコに、中出しした。
母の中で、息子と父の精液が混じり合った。
妻がアパートに戻る前日、初めて母とラブホで愛し合った。
最後の精液を母に注ぎ、母子相姦を締めくくった。
現在、俺は40歳、妻は50歳になっている。
一人娘は中二、妻の躾がいいのか、思春期になってもパパ嫌いになってな
い。
セックスは毎晩ある。
今、両親が実家のリフォームを検討している。
娘が高校生になったら、同居して、妻が働きに出たいから、鍵っ子にした
くないから同居を望んだ。
両親は大喜びで現在計画が進んでる。
俺たち夫婦の部屋は、奥に寝室を作ってもらい、そこで尿道プレイを楽し
みたい。
今、俺の尿道には直径10㎜のエグイ凹凸のついたプラグが入るが、まだズ
コズコはできない。
プレイルームで妻にぶっといプラグで尿道を穿られ、惨めに射精したい。
「あらあら、尿道をホジホジされて射精しちゃうなんて、変態さんね。」
って言われながら、マゾ射精したい。