実母との性体験は私にはトラウマである。
近親相姦という体験は少なくとも私の場合は、世で語られている様なものでは無い。
陰惨なものだと私は感じている。しかし、その母がコロナ禍の折に亡くなり、私も少しずつその呪縛から解かれ、あの体験にやっとこの歳で折り合いをつけられる様になった。
誰にも話す事が無かった。いや話せなかった体験をここに書いて私自身がけじめをつけて次に進もうと思う。
私が生まれたのは昭和45年。東京の下町に生まれた。父は中堅の工務店を祖父から継承し28歳の年に取引先の勧めで商業高校を出たばかりの母と見合い結婚をした。
母は地元の大きな酒屋の娘で何不自由無く育ったものの当時の酒屋は男社会の典型で母は厳しく躾けられ、自分にあまり自信が無い地味で大人しい女だった。
母は目立つ事を極力避け、父の影に隠れて生きていた。高度成長期、バブル期と商才に長けていた父は忙しく、外に出てばかりで父との家庭的な思い出は皆無に近い。
一人っ子の私と母は、まるで母子家庭の様な感じだった。父は仕事も出来る男だったが女性関係も派手でその女性関係は浮気や不倫なんて可愛いものでは無かった。
半ば公認の様な愛人も居た上に、その愛人に出来た娘を父は認知し溺愛した。
母は父の経営する会社で事務を取り仕切り経営を支えていたが愛人宅に入り浸る父の噂話は、仕事現場でも公然と行われ母を疲弊させていった。
大人しい母も流石に父に食ってかかるような修羅場も何度か見たが、その度に父は煩い、黙ってろと母を怒鳴りつけるばかりで、内気な母はその度に黙り込むだけだった。
最初の異変は私が小学校5年生の春に起きた、その頃は子供部屋を与えられ1人で寝床につくようになっていたのだが、夜中に息苦しさを覚えて目覚めると母が私を背中から抱きしめて泣いていた。
驚いたが母の辛い気持ちが背中越しに伝わる事と夜中に子供の寝床に入り子を抱いて泣くという行為の陰鬱な雰囲気に怖さを感じて声を出す事も出来ずただ固く目を瞑って一晩中、母の嗚咽を背で聞いた。
母はそれからほぼ毎晩、私を夜中に抱きしめて泣いていた。ある晩、私は耐えられなくなり目を開けて起き上がり、泣いている母に声を掛けた。
お母さん。大丈夫?泣いてるの?何かあったの?
母は起き上がり私を抱きしめて大丈夫。大丈夫よ。芳樹は私が守るから大丈夫。と泣きながら言い私が弱いから。私が弱いからと繰り返し肩を震わせていた。
母はその次の晩から私の部屋に入ってきて、そろそろ寝ましょうと一緒に床につく様になり、私に父と愛人や浮気相手の女の話を私を寝かしつけるように抱きしめながら話す様になった。
しかし、その声は憎悪や嫉妬が籠り私には恐怖でしかなかった。
母は私の頭や顔を優しく撫でながら芳樹はお父さんの様な男になっては駄目よ。芳樹はお母さんがちゃんとした男に育ててあげる等と話すのだった。母の目が怖かった。
母は昼間は普通に見えたが、夜は次第と常軌を逸していき、私を赤ん坊の様に扱うようになった。
ある晩、母は私にちゃんと肩までお布団を掛けなきゃ駄目でしゅよと赤ちゃん言葉を掛けた。
母は芳樹はまだ赤ちゃんなのね。可愛いわ。まだお母さんのおっぱい欲しいのね。と言って仰向けの私の顔の前で寝巻きを脱ぐと乳房を私に押し付けてきた。
芳樹、良いのよ。お母さんのおっぱい吸いなさい。沢山吸いなさい。と言って私の顔に乳房を押し付けた。
つづく〜