俺の母は俺を18歳で生んでくれた。
父は俺が小さい時に亡くなり、俺は母と7年前から体の関係になってい
る。
俺26歳、母44歳、普通の母だったら彼女くらいいないのと言うところ
だが母は言わない。
だって俺の彼女は母だし、俺の母は妻だから。
彼女と作ったら気も使うし、その点母だったら何でも知っているから思う
ものが目の前に出てくる。
妻を貰ったら食べさせていかなくてはいけないし、母だったら仕事もして
いて俺の仕事しているから普通の夫婦よりも裕福に暮らせる。
母を一度だけ妊娠させたことがあった。
母が30代最後の歳、悪阻を訴えてきた。
俺はそれまで避妊なんて考えたこともなかった。
母も避妊なんて口に出さなかったし、俺も子供なんて思ってもみなかっ
た。
俺は母の胎内にただ性欲を吐き出し、母もそれを受け入れ二人して酔いし
れていた。
母と相談をし子供は堕ろすことにした。
母の堕胎手術と同時に避妊手術を受け、母は子供が産めない体になってし
まった。
そう思うと母との行為がより激しくなった。
家では裸以上下着未満でいつでもどこでも嵌め合っていた。
母は普段は裸だが、台所に立つときだけはブラをして下はすっぽんぽんだ
った。
普段の母よりブラ一つの母の方はエロかった。
俺は後ろから母に近づき股間の硬い物を母のお尻に押し付けブラ越しに母
の胸を揉んだ。
「もう、、いま煮込んでいるから、火傷するから、、」
と言ったが俺はコンロの火を消し、母の腰を引き寄せ後ろから入れてやっ
た。
「ああ、、もう、、仕方ないわね。」
母はそんなことをしても決して拒否しなかった。
食事よりセックスが優先された。
妻を貰っていたらそんなことも出来ないだろう。
母とはよく買い物や食事にも行った。
外ではまさか裸か下着姿と言う訳には行かず、母は裸の上からワンピだけ
で出かけた。
俺もTシャツとジーパンだけで下着を着けなかった。
母の車の中には常に車椅子が乗っていた。
大きなスーパーに行くと俺を車椅子に座らせ、二人して障害者用トイレに
入ってセックスをしていた。
ジーパンを下げワンピを捲るとすぐに母と一つになれた。
一通り買い物と食事を終えると帰りにはラブホに寄ってまたセックスをす
る。
この2年間母のマンコの毛を剃るのと、お尻の穴の開発に俺は次ぎ込んで
きた。
母のマンコの毛を剃るときにはドキドキした。
傷を付けないかと言う事ではなく、すべてを剃らないで俺のイニシャルの
Tの形にして残してやった。
お尻の穴も父にも許してない領域で最初の頃には考えもなかった。
耳にピアスは嫌だったが、臍にも乳首にもピアスを施し母をきれいに飾っ
てやった。
ただクリにピアスは痛そうでやめた。
母をきれいに見せると誰かに見て欲しくなり、親子スワッピングに参加し
た。
俺たちと同じような母息子だったり、50代の父と20代の娘だったりと
さまざまだったが、母は父と俺しか男を知らないので新鮮だった。
母と父のセックスは見たことがなかったが、母と20代の俺と違う男との
セックスは興奮した。
母はいつも俺とのセックスでもこんなに燃えるんだと知らされた。
俺も母が最初の女で、40代の母親を抱けることに感謝した。
それと同時に父娘の場合、19歳の娘を初めて抱いた。
母とは違い肌がすべすべだったが、つい慣れでお尻の穴に触れると「ぎゃ
~」と言い出し焦った。
この子はまだそこまで開発されていなかったのだ。
つい最近俺の提案で母のマンコの毛をバッサリすべて剃ることに決めた。
もちろん永久脱毛しない限り定期的に剃ることになる。
それは前の見える部分だけではなく、お尻の穴周辺もだった。
母を寝かせ腰に枕を敷いて高くし、母には両足を持ってもらうとお尻の穴
がよく見える。
傷を付けないように少しづつカミソリを入れていく。
30分費やしすべてを剃り終えると美しいお尻の穴が見える。
俺は興奮しお尻の穴にクリームを付けるとチンポの先を宛がいゆっくりと
差し込んでいった。
「お、おかあさん、、」
「辰郎、、」
もしこの時、母が妊娠可能だったら俺は母に俺の子供を産んでほしいと願
うだろう。