娘は小5ですが、いまだに時々一緒にお風呂に入っています。
娘は私になついていて、娘の方から私と一緒に入りたいとせがむのです。
一緒に入る時、この間までは、私も娘もタオルを腰に巻いたりして性器を隠すということはありませんでした。
でも最近は、娘がタオルで前を少し隠すようになりました。娘に陰毛が生えてきたのです。
娘はそれが少し恥ずかしいようなのです。恥ずかしいくらいなら、私と一緒にお風呂に入らなければ良いのに、
それでもまだ私と一緒に入りたいと言ってくれる娘が、私は可愛くて仕方がありません。
実は娘は私の実の娘ではなくて妻の連れ子です。妻は夫を事故で失っていて、娘が小1の時に私と再婚しました。
私は初婚でした。娘とは養子縁組の手続きをしてあり法的には実の娘と同様です。
結婚後(どうやら私の精子の方に問題があるようなのですが)妻との間に子供はできません。
結婚後、娘はすぐに私になついてくれました。
そのころ娘は友達には父親がいるのに自分には父親という存在がいないことを寂しく思っていたようでした。
娘はとても可愛い顔をしているうえに素直な性格なので、私も娘が可愛くて、
休日には必ず娘を遊園地などに連れていって一緒に遊んでやりました。
だから、娘はすぐに私になついてくれ、自然に私のことを「お父さん」と呼んでくれるようになりました。
最近、タオルで前を隠すようになったのは娘だけではなくて、
私も腰にタオルを巻いて性器を隠すようになりました。
なぜなら、肌が雪のように白い娘の裸を見ていると勃起してしまうことがあるのです。
以前に比べ、娘の少し大きくなってきた乳輪やわずかに膨らんできた乳房、
ちらっと見えてしまう娘の淡い陰毛や一本筋の割れ目を見ると、父親だというのに、
恥ずかしい話ですが、淫らな気持ちが沸き起こり、愚息がうずいてしまうことがあるのです。そんなとき、
心の中で「お、おれは、何を考えているんだ。ぼ、勃起してはいかん!」と自分に言い聞かせるのですが、
男の悲しいさがなのでしょうか、最近はどんどん女っぽくなってくる娘の裸にしょっちゅう勃起してしまうのです。
私はもともとはロリコンではありませんので、以前は娘と一緒にお風呂に入っていても
勃起するなどということはほとんどありませんでした。
ただ、一度だけ、娘が目の前で放尿をしたとき、勃起してしまったことがありました。
娘の体を洗ってやっていたら、娘が「お父さん、おしっこしたくなっちゃった。ここでしていい?」と言ったのです。
私が「いいよ、ここでして。シャワーで流しちゃえばいいんだから。」と言うと、
娘は股を開き、つるつるの割れ目をむき出しにして放尿を始めました。
娘の性器は妻の性器とは違い、まだ小陰唇は発達していませんでしたが、皮をかぶったクリトリスがわかり、
割れ目がぱっくりと開いておしっこが出て来る様は興奮するものがあり、
子供とはいえ、目の前で初めて女の放尿をじっくりと見た私はむらむらしてしまい、
愚息がむくむくと起き上がってきてしまったのです。私は「ま、まずい!」と思って、すぐに愚息をタオルで隠し、
湯舟に飛び込み、なんとか娘の目に勃起した愚息をさらさずに済みました。
やはり、娘には勃起した性器は見られたくはありません。それは今も同じです。
娘は以前からなのですが、一緒に入浴している最中、私の性器をいつもちらっと見ます。
それは、自分には付いていない男のおちんちんがどういうものなのか、
どうなっているのか知りたいという自然に生じる興味なのでしょうから構わないと思うのですが、
さすがに勃起している状態の性器は娘に見せたくはありません。見たら娘は驚くでしょうし、
「どうしてこんなに大きくなっているの?」などと聞かれたりしたら、なんて言ったら良いのか?
まさか「お前の裸を見ていたら興奮して大きくなってしまったんだよ。」などと本当のことを言えるはずがありません。
だから、私も、勃起してしまう愚息を娘に見られたくなくてタオルを腰に巻くようになりました。
最近、娘の裸を見ているとやたら勃起してしまう私はそろそろ娘と一緒にお風呂に入るのは
断念すべき時期なのかも知れません。一度、娘に「もう、一人で入りなさい。」と言ってみたのですが、
娘は「きょうは、お父さんと一緒じゃなければ、お風呂、入んない!」と言って駄々をこね、
相変わらず私と一緒に入りたがるので、困ったものやら、嬉しいやらです。
娘がどんどん、女らしく色っぽくなって行くので、このごろは、一緒に入ると必ず勃起してしまうようになりました。
それだけではなく、このごろは、妻を抱いてセックスをしているとき、
娘を抱いて娘の可愛い割れ目に愚息を挿入している妄想をしながら妻の中で射精をしている自分に気が付くことがあり、
これから先、娘がもっと大人になって綺麗になって行くにつれ、娘に対する性欲が抑えきれなくなって、
娘にイケナイことをしてしまうのではないか、などと思って、自分が怖くなってしまう、今日このごろです。