都心でも雪が降りましたね。
その日の昼間に母の四十九日法要と納骨の手配を父と済ませました。
母が亡くなってから、すっかり落ち込み沈んだままの父です。
心ここに在らずといった感じで、まるで抜け殻のようです。
私は心配で明るく取り繕うのですが、会話も途切れがちでした。
兄は仕事の都合で、私にすべてを任せて先に帰ってしまいました。
残れた私は、父の好きな食事のメニューを思案しながら母の味付けを真似ようと一生懸命でした。
その晩は、私の手料理と父の好きなワインで会話も少し弾み和やかに過ごせました。
父に先にお風呂を勧めて、母の遺骨をお供えしている和室に二組の布団を並べて敷きました。
一緒に寝ようと思ったんです。
キッチンの片付けを終えても、まだお風呂からあがって来ない父が心配になりのぞきに行きました。
バスルームからわずかに漏れる父の嗚咽…
私は裸になると、そっとバスルームの扉を開けました。
「一緒に入るよ」
そう言って、タオルで胸元と股間を申し訳け程度に隠して一緒に入浴しました。
父と最後に入浴したのは小学校の低学年の頃です。
それ以来の父との入浴でした。
背中を流してあげながら、いろんなことを想い出していました。
まだ、和やかだった家庭が少しずつほころびだしていく様です。
母の浮気癖が始まると、何人もの男性と不倫を繰り返しました。
父は怒ると物にあたる性格でした。
それは、次第に暴力的になりました。
崩壊した家庭で、私は兄に守られて目立たぬ様にひっそりと大人しくしていました。
兄と身体を重ねて、ひとつに繋がるまでは…
私は、父に一度だけ強姦されたことがあります。
兄との近親相姦がばれた時です。
きっと、淫乱な母と私を重ね合わせていたのでしょう。
怒りに任せて暴力で脅すと無理やり制服を脱がされて裸にされました。
そして、嬲るように卑猥な言葉を浴びせ続けられました。
犯される時に、今まで感じたことの無い恐怖とおぞましさを覚えて身体が震えました。
抵抗しても貫かれたペニスで自由を奪われた私は、あがなえないままに父に犯され続けました。
身も心も汚されて、泣きながら強姦されました。
なのに、嗚咽はいつの間にか少しずつ喘ぎ声に変わりました。
兄に様々な調教を施された淫乱な少女の性です。
喘ぎ、悶え始めると父親の欲望を受け入れて腰を使い自ら求めて淫らな痴態を晒していました。
「まだ、ガキのくせに腰なんか使いやがって…」
情けないほどに濡らして、父の太いペニスがリズミカルに注挿される度にクチュクチュと卑猥な音色を漏らし続けました。
父の身体にしがみつき、身を何度も捩って耐えられなくなって仰け反って全身を震えながら果てた時です。
「おまえ、どこまであの女に似てるんだ。」
そう、吐き捨てるように言われたことが今でも忘れられない。
すぐに逝ってくれない父のせいで、私は途中で何度も果てた。
そんな、苦々しい想い出をふり返りながら父のペニスに手を伸ばすと泡を絡めて洗ってあげました。
萎んでいたペニスがむっくりと頭をもたげ始めると、とても太めの陰茎と大きな亀頭はしっかりとエラを張っていてとても立派なものです。
お風呂上がりに母のランジェリーを物色していると、父が選んでくれました。
黒のベビードールと揃いのTバックです。
その夜、私は父に身体を許しました。
母が亡くなる数日前です。
仕事を終えた私は、時間の許す限り母のもとにいました。
母の力無く開いた目もとから覗く虚ろな瞳。
その瞳とずっと見詰め合いながら会話をしました。
もちろん、普通の会話など出来ません。
アイコンタクトだけの会話です。
母は、私に父を託しました。
それだけが彼女の願いだった。
私は、そう想っています。
何年もまともに父と会話することも無かったけど…
ようやく親子に戻れた気がします。
母の冥福を祈って…