今から15年前、私が作った借金を手っ取り早く返済するため、母がA
Vに出ました。
母子家庭なので財産が無く、ピンチでした。
そのAVは無修正の国外配信もので、結構高額なギャラでした。
当時私25歳、母50歳でした。
ところが、AVの企画者が、ギャラを倍にできる企画があると言って
きました。
話を聞いたら、実の母子で近親相姦して中出しすると言うものでし
た。
二人で出るからギャラは倍、わかりやすいですが、うろたえました。
でも母がOKしてしまいました。
カメラの前で、裸の母を鋳たら、勃起してしまいました。
50歳の母はヨボヨボだと思っていたら、結構イイ身体をしていまし
た。
母と抱き合い、キスして、そして母を愛撫、股を開かせたら、ドドメ
色のオマンコがクパァ、意を決してクンニしました。
母は愛液を垂れ流して、悶絶し始めました。
すると今度は、母が私のペニスを口に含みながら、上手な舌使いで亀
頭を撫でました。
借金のカタに近親相姦性する母子の、悲しく卑猥な情事が撮影されて
いきました。
私と濃厚に舌を絡めながらキスして、母は、溢れ出る愛液に濡れたオ
マンコに、私の生のペニスを導きました。
理性を吹き飛ばすほどの肉欲が芽生え、男と女になった私と母の性欲
がぶつかり合いました。
「ああ・・・こんなに立派に・・・ああ、尚人・・・上手よ・・・」
カチカチの私のペニスが、母のドドメ色のオマンコを抉りました。
「ああっ!母さん・・・母さん出ちゃうよ!」
「出して!母さんの中に尚人の精子出して!尚人の精子で孕ませて~
~」
私達は、用意されていたセリフを言わされました。
母子姦通で中出し精液に身体を震わせた母・・・母のドドメ色のオマ
ンコから、私の精液がダラダラと流れ出ました。
しかし、許されざる姦淫は、二回戦も要求されました。
内股を私の精液で濡らした母が、私に跨り、腰をクイクイさせまし
た。
髪を振り乱し、垂れかけた乳房を揺らす母を下から見上げ、母娘です
る生殖行為のおぞましさを感じました。
やがて、母に締めあげられて私のペニスは二度目の射精を迎えまし
た。
私のペニスが萎えてニュルンと吐き出されると、ドロドロと母のオマ
ンコから精液が逆流しました。
私達を借金から救った作品のDVD版、記念にもらいましたが、先日
処分しました。
あの撮影の後、母子で愛し合う悦びに気付いた私と母は、毎晩のよう
に求め合うようになりました。
しかし、それも2年で終了しました。
私が出張から帰ると、母が屹然と姿を消していたのです。
「このままではダメ。尚人はちゃんとお嫁さんを貰いなさい。」
と置手紙を残して、母はパートも辞めて消えました。
しかし先月、母が65歳で亡くなったと、叔父経由で聞き、私は、10年
前に結婚した妻に事情を話し、飛んでいきました。
母は、そう遠くない隣の県の小さな町で働いていました。
「母さん・・・」
13年ぶりに見た母は、小さくなった印象でした。
私は、母を愛した女として送りました。
私の遺伝子を母のオマンコに何百回と注いだのですから、母は私の母
であり、恋人です。
でも、母と愛し合ったDVDは、誰の目にも晒してはいけませんか
ら、叩き割りました。
「さよなら、母さん・・・愛してたよ・・・」
そう言って、DVDを処分しました。