大学受験、大学生時期の話です。高校生に入り夜遅くまで起きている時間が多くなった。そんな時、喉が渇いて台所の冷蔵庫から飲み物を取って2階に戻ろとしたとき、両親の部屋から母の喘ぎ声が聞こえた。俺は衝撃を受けた。父は48才、母は49才で父は市役所職員、母は養護教諭でした。そんなお堅い仕事の母が淫らな喘ぎ声を出していたのですから……
俺は思わず両親の部屋の前に行き、母の喘ぎ声に合わせて肉棒を激しく扱いた。その後、声もしなくなったので部屋に戻り、扱きの続きをしてその夜は眠りについた。
俺は一人っ子で両親が働きに出ている。殆ど祖母に育てられたようなものだった。祖母は72才とても若く、元気な祖母。
翌朝、朝食の時、母をマジマジと見てしまってた俺がいた。母は49才身長156㎝、その時は分からなかったがDカップくらい?
割とナイスバディ。お堅い仕事のは母かあんな声を出して。俺は母を欲望の糧にした出来事となった。
それから夜は毎日、耳を澄ました。されど毎日、母の喘ぎ声は聴けませんでした。
学校から帰って着たとき両親は仕事だし、祖母もお出かけ中、俺は本能的両親の部屋に入った。タンスや押し入れなど物色した。母のタンスを隅から隅まで見た。下着類は派手なものはなく、白、薄い黄色、お決まりのベージュ、黒等、一応ブラ、パンはお揃いと云う感じ、キャミソール、ガードルが数枚、単品のパンティ、あと気を引くものは無かった。母の下着を物色しているなんて罪悪感にとらわれた。最後に押し入れの中にも4段のタンスがあり、諦めていたところ望んでたと云うかエロ下着が目に飛び込んできた。普段使い出来る紫色、赤色、オレンジのブラパン。衝撃的だったのがカップレスブラジャー、透けて中が見えるパンティだった。
バイブレーターなどの大人のオモチャ、母の裸のボラロイド写真。肉棒を咥えているもの、母が脚を自ら広げてオマンコを手で触ってるものなど俺は固まってしまった。
その中の一枚を自分の部屋に持ち帰った。
母の裸の写真を見ながらオナニー三昧の始まりとなる。曜日を決め打ちして両親の部屋の前に行って耳をドアに付けた。三回一回くらいは狙った通り母の喘ぎ声が聞こえた。はぁ~ん、あ~ん、いい~、もっと~、イク~興奮極まりない。両親の部屋の前にザーメンをぶちまけること何回も。
段々、喘ぎ声だけでは満足出来なくなり、母の行為を見てみたい衝動が日に日に高まっていった。どうしても夏で家の外から覗くしか方法しかなかった。両親の部屋を外から覗くには大窓は無理、小窓がある方向しかない小窓にはカーテンが無く網戸だけ夏ば絶好の機会。夏が来るまで喘ぎ声で我慢するしかないと耐えていた。いよいよ高2の夏休みがやってきた。不発にならないように行動パターンを読みんだ。曜日は火曜、金曜、土曜日が頻度があり、時間は23:30過ぎ、勝手口から外へ出て両親の部屋の出窓までの頭でのシミュレーションをして来るべき日に備えた。夏休みに入り、最初の火曜日時間を見計らって覗きに行った。両親のセックスは最後の方であったが俺としては初めて見る衝撃的なもので時間が止まったような感覚であった。
網戸だけだったので中はハッキリ見えた。
母が父の上に乗って腰を上下や左右に円を書くように動かしていた。喘ぎ声を我慢しながら。バックから父から激しくパンパンと音をたてながら。母のおっぱいは上下に揺らしていた。父も母も恍惚な表情をしていた。最後に正常位で母の脚を肩に掛けながら激しく突かれ母も喘ぎ声を出して乱れていたのである。最後には腹上にザーメンを父は放出。最初から見られなかったのが残念。今度は最初から見たいと感じながら部屋に戻って扱きまくった。母の裸と恍惚な顔と喘ぎ声を頭に呼び戻して………
つづく