私と母の関係は14年間続きました。しかし、最後は『もうやめよう。』と言う母の言葉で簡単に関係を終えます。
67歳となった母の身体は、私を受け入れるにはツラくなり、もう独り身となりたかったようでした。
特に美人でもなく、そばかすだらけの汚れた顔。中年太りこそしてはいないが、ただの所謂中肉中背。
男性が振り向きもしない、どこにでもいるおばさん。
そんなおばさんと14年も関係をしていたのですから、私もかなりの物好きだったのでしょうね。
始まりは15年前の年末休み。お互いに少し酔っていたとは言え、こたつの中で母親の身体に触れたことが始まりでした。
いたずら心に火がつき、最後は直に母の女の部分にまで触れていました。やたらと興奮をしたのだけは覚えています。
その行為は終わらず、結局正月休みが明ける1月4日まで何度も続いてしまったんです。
『母が濡れる。』、最後はそこまで辿り着いていました。
当時22歳だった私は、高知県に長期の出張をしておりました。会社が用意をしてくれた賃貸のアパートに住んでいたんです。
2月になり、その高知県まで母が電車でやって来ます。突然のことでした。
家にいる父には、『ミニ旅行も兼ねて。』と言って出て来たそうです。
母の真意も分からず、駅にまで迎えに行きます。もちろん、期待はありました。正月休みにいろいろありましたので。
私の期待は現実となっていました。何もない部屋に敷かれた布団の上で、私は母親の口の中で果てていたのです。
色気も何もないおばさんからのフェラチオを受け、激しく射精をしてしまいました。
この時の母は目の少し上に白いタオルをハチマキのように巻き、私とは顔を合わせようとはしませんでした。
私からも見えていたのは、私のブツを咥える口元、そして息をするだんご鼻だけ。
その目はタオルに隠されて見ることは出来ませんでした。
翌日の土曜日の午前中。
もう今となってはどちらが誘ったのかすら忘れましたが、高知県のラブホテルで母と初めての関係を持ちます。
挿入をした時間はとても短かった。私がすぐに果てたからです。
その間、母は黙ったままでした。黙ったまま、私のブツを受け入れていたんです。
母親の喘ぐ声がこの耳で聞くことが出来るのは、更に数ヵ月あとのことです。