高1の頃、右足首骨折して入院した。脚にボルト通してオモリで引っ張ってたから動けなくて、母親に下の世話してもらってた。入院してた病院て完全看護だから付添いらないんだけど、若い看護婦さんに下の世話して貰うの嫌だったし、母親も付添を希望してたから、無理なお願いしたら「個室なら』てことで希望が通った。
僕の母は、ひとりっ子てことも有るのか、周りがドン引きするくらいの超過保護親で、とにかく「息子一筋」の女性。僕は僕で、思春期になれば親なんぞ鬱陶しいだけの存在になりそうなものなのに、なにかと世話を焼いてくる母親に「心地よさ」みたいなものを感じてましたね。
入院して暫くした夜、不覚にも夢精をしてしまい目を覚ました。母に気付かれないようにティッシュを取ろうとしても、脚が固定されてるから動けずモタモタしてたら、気配を感じた母が目を覚まし「なに?オシッコ」と聞いてくるので、覚悟を決めて「パジャマ汚しちゃって・・」と言うと、母が、掛け布団を剥がし僕のパジャマを脱がすと、精液でグチャグチャになった僕のイチモツ、バツの悪い僕に比べ母は冷静で、ティッシュで精液を拭き取ったあとは、僕のイチモツを持ち、濡れタオルで愛おしそうに僕のイチモツを綺麗にしてくれたんだけど、僕は勃起してしまった。
ある日、母が、ある提案をしてきた。僕のことが気になって、よく眠れないし、前みたい夜中にゴソゴソするの面倒くさいから、アタシが手で処理してあげると、とんでもない事をいい出したので、僕が恥ずかしいし変だよと強く拒否すると「息子のチンポコなんて、母さんの身体の一部と同じなんだから、なにが恥ずかしいのよ」それでも拒むと「どっちみち夢精しても、後始末するの母さんじゃないの」それを言われると返す言葉がなく、素直に従ってしまった僕・・と言うよりも、ある意味、それを望んでたのかも知れない。
その日の夜、病棟が消灯になると、母は、僕のパジャマを下げ、仮性包茎のイチモツの皮を剥き用意した濡れタオルで丁寧に拭いてくれた。これだけされただけで、僕のイチモツは勃起してしまい、たまらず『ウゥ・・』と声が漏れると、母は『出そうになったら言うんだよ』と言いながら、割と淡々と、僕のイチモツをシコリ始めた。僕はといえば、恥ずかしさと背徳心から、ただ天井を眺めるだけで、母の手の暖かさと、シコられてる気持ちよさで、度々『ウゥッ』と声を出す、母が『イキそうかい?』と聞いてくるので『もう少し』と震える声で答えるのがやっと、母が、シコリのピッチを上げたときに、昇天しそうになったので『イ、イキそう』と母に伝えると、母が、少し大きめのボリュームで『ティッシュ、ティッシュどこ?』と焦る声、僕が『ダメ、イッちゃう』と言うか言わないかの瞬間、僕のイチモツが手とは違う感触の、生暖かい何かに包まれた感じがして、そのまま果ててしまった。
ドクドクと精液が僕のイチモツから流れ出しているのに、ティッシュで拭き取られてる感触はなく、明らかに吸われてる感覚、もしや!と思い、少しだけ身体をお越し、母の方を見ると、母が僕のイチモツを咥えて、精液をチューチュー吸っており、『ちょ、ちょっと母さん』と僕が声をかけると、母は、少し離れたところに置いてあったティッシュに口の中の精液を出してから「ティッシュ無いんだもん、あのままだったら、また汚れちゃうじゃない、仕方ないわよ」と悪びれた様子もなく、口の周りを、僕のイチモツを拭いた濡れタオルで拭いていた。
その日から、手での処理ではなく母の口で処理してもらうようになり、ひとりでトイレに行けるまでの2週間ばかりは中3日の間隔でフェラしてもらっていた。母も僕も、ある意味、これを楽しんでいて、個室を良いことに、朝、病院から配られる身体を拭くためのオシボリで、ぼくのイチモツも母が拭いてくれるときなど、綺麗になったイチモツを眺め、勢いでパクリなんてこともあったが、それ以上に発展することはなく、僕も、母の身体に触れるようなこともしなく、あくまでも、入院中の已むを得ない性処理として認識してた。それでも、退院してからも、母におねだりして何度か口でイカせて貰ったことは有りましたが、不思議なんですが一線は超えませんでしたね。なんでかな・・・
もう20年も前の話ですけど。