現在38歳の私(男ですが一人称は「私」にさせていただきます)が中学1年の時の話です。
私は母子家庭の一人っ子として育ちました。
家賃3万円ほどの1Kのアパートで、6畳の部屋をカーテンで仕切って辛うじてお互いのプライベートスペースを保って暮らしていたある日、母が「2部屋以上あるとこに引越ししたくない?」と聞いてきました。
私「そりゃできるなら引越したいよ」
母「あんたがある事を手伝ってくれたら引っ越せるんだけどね」
私「ある事って?」
母「エッチ。何人かの人達が見てる前で私とあんたがエッチすると結構お金が貰えるんだよ」
私「絶対に嫌だ」
母「嫌だろうけど、引っ越せるくらいのお金が貰えるんだし考えてみてよ」
私がその話をスルーして2~3日が経った夜、風呂から上がると母が「ちょっとそっち行くよ」と言ってカーテンのこちら側に、おっぱい丸出しでパンティー1枚という姿でやって来たんです。
その時の母はまだ32歳で、中学1年だった私から見れば服を着てる時はそれなりにオバサンでしたが、裸になれば十分に興奮できる素材でした。
母「エッチは嫌かもしれないけどフェラならどう? フェラチオわかるよね? おちんちん舐めてあげるから寝転びな」
もう私にはそれを断る理性など無く、布団に寝転ぶと母は私のパンツを脱がせてフェラチオで逝かせてくれました。
小学生の頃からほぼ毎日オナニーしていましたが、玉舐めや口内射精やお掃除フェラなどは格別です。
初めてのフェラチオから1時間も経たないうちにまたムラムラした私は、カーテンの向こうの母に話しかけました。
私「母さん、起きてる?」
母「起きてるよ」
私「やっぱりエッチもしてみたいな」
母はまたカーテンのこちら側にやって来ました。
母「いきなり人前でエッチだとあんたもすごい緊張しちゃうだろうから、練習しておこうか?」
私「その人前でってのは無しで、エッチしたいな」
母「それはダメ。お金のためじゃなきゃあんたとエッチなんてしないよ」
私「そっかぁ。じゃあまたフェラチオしてよ」
母「人前でエッチできないならもうフェラもしないよ。逆に、人前でエッチしてくれるなら幾らでもフェラでもエッチでもしてあげる。どうする?」
私が悩んでいると母は、見物料を払って母子セックスを見たがってる人達について少し教えてくれました。
男性が5人で女性が1人。
そこに母を含めた7人で集まって乱交したり、普段も5人のうち誰かと会ってはセックスしたりと母の下半身は奔放でした。
そして男性陣が更なる刺激や興奮の材料の一つとして『本物の近親相姦』を見たいと母を口説いて、経済的にある程度余裕がある男性を中心に金を出し合って対価を払おうと。
小一時間前のフェラ抜きの快楽、目の前には奔放な下半身の母、私の気持ちは固まりました。
私「その人達の前でエッチするから、今エッチしたい」
母は素っ裸になると「とりあえず何でも好きなようにやってみな」と言って私の布団に仰向けになりました。
私も素っ裸になって母のおっぱいにしゃぶりつき、マンコを観察したり触ったり舐めてみたり、母の身体を一通り楽しんで母の指導のもと挿入、そして中出し。
数日後、7人の集まりに私も参加して母との近親相姦を6人に見せつけてやりました。
代わりに、私とのセックスのあとに5人の男達に凌辱されて乱れまくる母の姿を見せつけられました。
男性陣いわく『中学生の息子の目の前で母親を輪姦』も更なる刺激や興奮の一つだったそうです。
近親相姦からは話がそれますが、その後も集まりに参加させられたり個々の男性に呼ばれたり、男性陣の刺激や興奮のために色んな年代の女性達との様々なカラミを体験させてもらいました。
高校卒業までは母と一緒に暮らしていたので、彼女がいる時も毎日のように母とセックスしたりフェラ抜きしてもらったりしていました。
大学からはたまに会うとセックスする関係になって、私が現在の妻と付き合うようになってからは母とのセックスは無くなりました。
母が49歳の時に再婚してからはほぼ会ってません。
たまに母から電話がかかってきて先日も少し久しぶりに喋ったんですが、料理の味付けの話になった時に「俺の『お袋の味』は本当に母さんの乳首やマンコの味だからなぁ」と言ったら母が下品に笑ったんで、57歳になった現在でもあまり変わってなくて安心しました。
7歳下の旦那さんとの性生活も充実しているらしいので、そっちのほうも安心しました。