⑨ー2母との遠き追憶 青春学生編 つづき
4月から社会人として会社に勤め始めた。実家から3ヶ月は通った。母は婦長代行から正式に婦長として忙しくしていた。学生のときに毎日、母とのセックスも、今では2週間に1回のペースになっていた。
俺も彼女が出来て実家を出てアパートを借りて半同棲状態となり、自然と結婚へと至った。俺が25才、妻が26才の姉さん女房になる。妻は高卒で入社し、8年目のベテラン、名取裕子似のBカップでセックスは中の上って感じ。フェラチオが驚くほど上手い!男遍歴は分からないが、今までの男達に仕込まれたのであろう。結婚して半年後妻が妊娠した。安定期に入り、フェラチオで抜いてくれていたが、セックスの欲求が高まり、どうしてもしたくて妻に内緒で実家に行って母の体で欲求を満たした。母は世帯を持ったのだからと俺を諭したが、最初はフェラだけならと了承するも、俺の欲求に負けて、体を許した。久しぶりの母の膣は55才にしては妻以上に感じられた。母のおっぱいもDカップは変わらず、腰廻りに少し肉が付いた感じだがまだまだ魅力的であった。
そうこうして翌年、子供が生まれた。病院に妻と子供を母と見に行った、後はアパートで母の体を貪った。
母を服、下着を脱がせ肉棒を咥えさせた。時間をかけてフェラチオをさせた。俺も母のオマンコをたっぷり舐め回した。母も妻に対しての後ろめたさを感じつつも一旦、肉棒で突かれると喘ぎ声を出して反応していた。バックで少し激しく突くと逝ってしまった。俺も妻に後ろめたさを感じながら、中出しはせずにおっぱいから口元にかけてザーメンを放出した。
母は妻と俺がセックスが出来るまで期限を付けたが、再度、母とのセックスに火がついた感じでは中々、断ち切れそうになかった。
妻は1年間の育児休職を取り、子供を育てた。妻とセックスが出来るようになっても、母とのセックスは無くならなかった。
妻が1年間育児休職が終わり、職場復帰した。妻と俺と休みをずらして子供の面倒を見た。俺が休みの時は、子供と一緒に実家に行き、時間を過ごした。
子供の昼寝しているときはリビングのソファーで母を裸にして立ちバックで突きまくった。母も大きな喘ぎ声を出して乱れていた。母は母と子のセックスの関係を終わりにしたいと思っていた。
俺もどこかで断ち切らなきゃと思いながら時は過ぎていった。妻も復職して主任になり、仕事では出張もするようになった。もちろん、東京に泊まりの出張もあり、その時は実家に行って母に子供の面倒を見て貰っていた。その時はもちろん、母とセックスをした。
妻とのセックスも普通にやっているし、不満は無いが主任なり、仕事が忙しくなり、回数が少なくなったことは否めない。
それから、1年が経ち俺は係長に昇進した。入社6年目のことであった。
仕事も家庭も順風満帆で時が過ぎていった。そんなとき妻の二人目の妊娠となり、また、禁欲生活の始まり欲求の捌け口が母に向けられていくのだろう……
母との関係が今後どうなっていくのか?
②母との遠き追憶 社会人編につづく