①母との遠き追憶の続きになります。大学最初の夏休みで母とのセックスに成功した自分は東京のアパートに戻り普通の大学生活になっていた。母とのセックスも思い出しながら……
バイトもしサボることなく大学の授業にも行っている。10月に入って母から、近況を心配しての電話が
、ちゃんと食べてるか、学校行ってるかたわいも無い話しであった。夏休みの母とのセックスもあり、自分として話し辛かった。今度、冬休みに帰るから、母に告げ、他に母に帰った時、抱かせ欲しいと切り出した。母からは夏の思い出でしょうと一蹴された。苦笑い……
12月中旬に自分は実家に帰省した。その時は、父と母は仕事で家にはいなかったようで自分は夏休みにも覗いた母のタンス、クローゼットを物色した。
夏と違うのは母の地味なブラジャー、パンティが派手な感じに変わっていた事だ。黒、紫、濃紺、オレンジ等、どんな変化なのか?また、夏にもあった箱には透け透け下着、ガーターベルト、ストッキングがあり、今度、母につけさせたいと思った。クローゼットの奥にはタオルに包まれた電動こけし、ピンクローターがそのままあった。ポラロイド写真も夏に見つけた他に写真が増えていた。母がリビングで裸にエプロン、電動こけしを母自身でオマンコに入れてるとこ、ガーターベルトを付けて寝室で撮られた写真だった、父も好きだなぁと思いながら肉棒を硬くしてました。
後、8ミリビデオの機械とテープが段ボールの中に入っていた。自分は察しがついて父と母の部屋のデッキにテープを入れた……何と父が撮ったもので母のオマンコにローター、電動こけしを出しいれ母が喘ぎ声を出している場面や普段のセックス場面、リビングでのフェラ、驚いたのは母は看護師なので父は白衣を着せ中身は紫のブラジャー、パンティ、ガーターベルトでエロさ満点!母も父の肉棒をフェラ、父に激しく突かれて大きな喘ぎ声を出していた。いつの間にビデオカメラを買った?あとなにも出てこなかったのでリビングに戻ってテレビを見て過ごした。
夕方母が帰宅した、久しぶりに見る母の姿に興奮した。間髪入れず母が着替えに部屋に行った時、覗きに行った。母は上衣、スカートを脱いでブラジャーパンティ姿になり久ぶりの母の体だった、前と違うのは派手な色。夏はベージュ今は赤!着替える前に母の胸を揉んだり、オマンコに指を入れた。母はそれ以上させず、夏で終わったことでとしょうと一言、着替えを済ませ台所に行った。
しかし、自分は引き下がらなかった……
母にタンスのエロ下着、ポラロイド写真、ビデオテープの件を言うと母の手は止まって蒼白な表情に変わった。自分の言う事を聞いてくれと強めに言った、すると母は渋々頷いた。
父との営みを今日の夜やること部屋のカーテンは半分開けとくこと、窓は少し空けて網戸にしておくこと、父には気付かれないようヒーターを付けること、母には喘ぎ声は押し殺さず大きく出すことを指示。
時間は23:00すぎから始めることで確認した。打合せが済んだころ父が帰り雑談しながら自分、母、父の順で風呂を済ませた。自分は上手く進むように22:00過ぎには部屋に引っこんだ。時計を見ながらドキドキしながら時間を待った。
23:00前に自分の部屋からそっと外に出て母たちの部屋の外に回った。平屋なので容易に出来た。
23:00になったので窓から覗くと自分の指示通り、カーテンの間から部屋がくっきり見えて声が聞こえるように窓を少し開け網戸ににしてあった。ヒーターも付けてあり万全。布団を敷いてあるとこには父が裸で寝そべっていたが母の姿が見えないと思った瞬間、母は透け透けのエロ下着を付けて父の隣に寝た。二人でモジモジしながら数分間が過ぎ、父が母のオマンコをしゃぶったりしている、母も少しずつ反応して喘ぎ声を出し始めていった。今度は母が父の肉棒をフェラ始めた、ディープスロート、バキュームフェラ交互に繰り返して父の肉棒は直ぐに硬くなったようである。
父は母のエロ下着を剥ぎ取りながら、正常位で母のオマンコに肉棒を一気に押し込み激しく突いた喘ぎ声も押し殺さず、大きい声……自分は肉棒を扱き始めた!
今度は母が上に乗り、騎乗位。母も腰を激しく動かしおっぱいを上下に揺らして喘いでた。体位を変えてバックから父は母の腰をつかんで激しく突いた……
母も喘ぎ声を出し、感じている様子。母は大きな声でもっと突いて~と父に言った。父も更に激しく突くと、正常位に戻って母の脚を高く上げ、足首をつかんで突いた。数分間が経ち父も限界らしく突く速さが増した。オマンコから抜くと母に顔にかけていいかと聞いたら、母はいっぱいかけてと言って父は溜まってたのだろう、年の割にはたくさんのザーメンを母の顔にかけて果てた。自分も扱いて母にかけるつもりで母の部屋の外壁へぶちまけた。母は顔にかけられたザーメンをティッシュで拭いたあと父の肉棒を丁寧に掃除フェラして数分して灯りが消えた。
次の日母は半日勤務なので午後2時頃帰宅してきた。
今日は襲うのは我慢して昨日の父とのセックスを聞くとにした。母が着替えをしてリビングに来た時、一緒にコーヒーを飲みながら昨日のセックスはどうだったかストレートに聞いてみました。しかし、母は口が重かったが少しずつ口を開いた。
まずエロ下着を付けたのはどうして?の問いに母は父が付けろって言ったから。この頃はセックスの時は何かしら身につけてセックスするよいになったとのこと。喘ぎ声が大きかったのは?の問いには自分に対してのサービスも少し、父が喘ぎ声を我慢するなと言うから。
顔射をするようになったのは?の問いには父がアダルトビデオで顔射をよくみるようになり、実行するようになったとの。聞いてもあまり意味は無かったが母に対しての支配感を高める為にある意味必要だったのかも知れなかった。
後、母に父とのセックスの頻度を聞いてみた。そうしたら月に6~7回と言ったので以外と父は元気何だなと思った。あと父のザーメンはフェラして飲むことあるのと聞いたら、若い時はあったが今は飲まない、飲んだのは自分の時の夏休み中だけだそうだ。
好きな体位と云うより逝く体位はバックだそうだ。好いことを聞いた。
夏休み以降、母の下着がカラフル、セクシー色になったのはなぜ?には父に普段もセクシーな下着を付けろと言われたから。
夏休みのように長くない冬休み母を抱くチャンスは少ない……
口で抜いて貰うことは何回か出来そうだがセックスとなると冬休み期間、2日間くらいしかない。
父が仕事で母が休みの日、母が夜勤明けで父が仕事の日しかない。その他の日は口で抜いて貰うか、父、母のセックスをまた覗かせて貰うか!
二人が仕事で日中居ない時は両親の部屋の父と母のセックスビデオを見て一日中扱いて暇を潰した。
12月26日、年内最後の母のみの休みの日が来た。朝からドキドキです。父を仕事に送り出してから、母に抱きつき胸や尻を弄ってセックスへともっていこうとすると、母はおっぱいを揉んだり、尻を触るのは許すけどセックスは絶対ダメと念を押された。夏休みに中出しまで許して挿入2回もさせたくせにと思いながら、何とか、フェラで抜いてくれることにこぎつけた。冬休みに帰省してから7日やっと母から抜いて貰えることに……
場所はリビングのソファーで自分が腰掛けると母がとなりに来てズボンを下げ肉棒を咥えた。母のフェラは3ヶ月ぶりで興奮した。母のセーターを捲りあげ、ブラジャーの上からおっぱいを揉んだ。母も自分がなかなか射精しないことを擦って、フェラに力が入る。
フェラを10分しても射精しないので、母自ら上半身脱いで見せた。母の行動と久しぶりの上半身のはだかを見て自分も我慢が出来なくなり、母に出ると告げると母はおっぱいに出すよう促すが、自分は母の頭を抑えて口の中にザーメンを放出した。母に飲むように云うと母はゴクンと飲み干した。
母に味はどうと聞くと美味しくないに決まってるでしょうと云い話した。
母もフェラで挿入まではさせない様子である。
午後からもアタックするが、裸でフェラ抜きでおっぱいにザーメンを放出に留まった。
母に再度、やらせてくれと頼んだがダメだった。
それなら、また父と母のセックスを覗かしてくれと頼んだら、それは了解した。
じゃ、今日の夜前と同じ23:00にカーテンを半分開ける、少し網戸にすること等、指示をした。
夜その時間がきて母たちの部屋の外から覗いた。指示通りに部屋の中は見える状態である。
約束の時間を15分も過ぎたところで父と母が全裸で現れた。二人とも立ちながらキスを始めた。
布団にゆっくりと倒れこんで、父が電動こけしを出し、母のオマンコに入れた……母は最初から絶叫した。
母は既に逝ってしまたようである。普段はフェラしてから入れるが、今日は父が興奮したのだろう既に肉棒はギンギンで母のオマンコに挿入した。正常位で数分突いたあと母を立たせタンスに手を付かせ立ちバックでガンガン突いた。母は喘ぎ声も大きく激しく突かれて逝く~と発し逝ってしまった。
父がオマンコから肉棒を抜いて母をひざまつかせフェラをさせました。少し落ちてから正常位に戻り、父は突きながら母とキスをして舌を絡めて唾液を母に飲ませました。最後に近づき父はオマンコから肉棒を抜き
母のおっぱいにザーメンを出しました。
母もティッシュでおっぱいのザーメンを拭き取り父の肉棒をキレイにフェラしていた。普通はここで灯りが消されるが今日は少しおまけがあり、母が窓の方を向き全裸を見せてくれました。父はまったく知らないことです。それから二人はキスをしなから抱き合って灯りが消えました。自分は部屋に戻り激しく扱いてザーメンを放出。
次の朝、母と目を合わせたらあそこまですれば十分でしょと言わんばかりの仕草でした。
年の瀬から年始まではなにも出来ず、悶々と過ごす毎日が続きました。
冬休みもあと6日、母の休みもその間、1日しかなくその日に勝負をかけるしかありません。1月4日から父は仕事始め、1月7日の母の休みが最後のチャンス!
それまでは2回、母から口で抜いてザーメンゴクッンして貰いました。
遂にその日が来ました。朝、父を送り出したあと母を母たちの部屋に連れて行き、 父が撮影したビデオテープを母に見せてフェラさせました。夕方まで時間はたっぷりあります。思う存分やってやろうと……
自分を変態的な目で云うが母のビデオでやってることはどうなの?と母は何も言い返せませんでした。
母に夕方までブラジャー、パンティ姿でいてと云うとセックスよりましだと思ってか従ってくれた。自分もトランクスのみ。
リンビングで咥えさせました。それから、部屋の掃除をしてるときも掃除を止めさせ、軽いフェラそんなこんなで午前中が過ぎた。ザーメンは午後の為に取っておきました。
午後2時過ぎ、母たちの部屋で母を押し倒し、全裸にしました。入れるのだけはダメと拒みます。
クローゼットから電動こけしをもってきて母のオマンコに入れて動かしました。母は大きい喘ぎ声を出して逝ったようです。ポラロイドカメラのフイルムが8枚数残ってたので逝ったばかりの母を撮りました。
ぐったりしている母のオマンコに肉棒を挿入、3ヶ月ぶりの膣の感触、快感が体を走ります……正常位で激しく突きました。さすがに久しぶりの膣なので10分と保たず母の顔にザーメンをぶちまけた。大量に!
母はティッシュで顔を拭き取り下着をつけクローゼットから服を着ようとしました。もう終わったと思って。自分母に夕方までブラジャー、パンティだよと言い、母もブラジャー、、パンティだけで台所に行きました。自分の体力が戻るにはそう時間がかからなかった。3時過ぎ台所で下着姿の母に抱きつき、また、母たちの部屋に連れて行き、裸にしフェラさせた。
タンスからエロ下着を持ってこさせ母に着けさせ著たままオマンコに肉棒を挿入した。母の脚を高き上げ体重をかけて突き、打つけた。母は喘ぎ声を絶やしません。体位を変えて父がやってたタンスに手を付かせ立ちバックでガンガン突いた。母は立ちバックで逝ってしまった。母を逝かせられた喜びを感じた。
母を騎乗位で腰わや振らせた。おっぱいが揺れる光景を堪能した。最後に正常位になり激しく突いて母のおっぱいに放出。エロ下着がザーメンで汚れた。また、ポラロイドカメラで母の姿を撮った。
母はブラジャー、パンティを身につけ台所に戻った。
さすがに2時間インターバルを開けて午後5時過ぎ、父が帰る7時まで母を抱こうとさっきの部屋にいき母にたっぷりフェラさせ、突いた。フィニッシュまで1時間いろんなたいで夢中に突いた。母も喘ぎ声が止まらない…その間、母を2回逝かせた。最後に母の膣、子宮にザーメンを放出した。
母も自分も数分間仰向けになって天井を見ていた。
その後、母の膣から垂れるザーメンをポラロイドカメラで撮り、お掃除フェラしているとこも撮り、リンビングのソファーに全裸で開脚で座らせ撮り、最後に全裸のまま立たせ撮り納めた。
母と濃厚なキスをし互いに服を着た。母は本当にセックスはこれきりしてねと言ったが自分はこれから先も抱くからと部屋に戻った。
それからして自分はポラロイド写真を土産に大学が始まる東京に帰った。
春休みが待ちどうしい……母を支配下に置きつつ
③母との遠き追憶につづく