最近の新聞に、実の娘と父親の関係で娘から親父が裁判に訴えられているという記事を読んだとき、母親と息子の関係で、母親が息子を訴えたという話は全く聞いたことがありません。これはどういうことなのか、不思議に思いました。
私が中学2年の時、親父が病気で他界してそれから3歳上の姉と3人の母子家庭で育ってきました。親父が務めていた会社の補償や生命保険などが入り、生活には困っていませんでした。姉は中高一貫の女子高で寮生活をそのまましていまし、大学もエスカレーターで推薦だけで入り、その都市の地銀に就職しました。
その点、私は自分でも自覚するぐらい、小さいころから甘えん坊でした。親父には好きなものを買ってもらい、母にはいつもベタベタしていました。でも、父が亡くなったということもあり、中学生の反抗期もあり家にはいつも夜遅く、こそっと帰っていました。そして友達から借りていた成人雑誌の大人の女性を見て処理していました。
すると、時々、母が「帰っていたの?心配していたわよ。こんな時間まで何してたの?」と言ってベッドに腰掛けましたので、雑誌を隠すのに慌てていました。
ある日、母が「久しぶりに、お夕食終わったら一緒にお風呂に入らない?」と聞いてきましたので「うんいいよ。」と返事をしましたら、「私はこのビールを飲んでから入るから、先に入ってて。」と言いましたので、風呂に入って洗い終わって、遅いのでもう上がろうとしていたら、「あら、ごめんねテレビが面白くて」と言って入ってきました。
風呂では、母の背中を流しながら、お父さんの事や学校での出来事などを話しました。風呂から上がると、母はいつものように湯上りのビールを美味しそうにグビグビと飲んでいました。私も美味しそうだったので母のビールを飲みましたら、苦くて「なんでこんなものが美味しいの?」と聞いたら、母は笑って「あなたが大人になったらわかるわよ。」と言いましたので、早く大人になりたいと思い、部屋に行って大人の女性の裸の写真を見てガンガン処理していました。
それから、ほぼ毎日のように私たちは一緒にふろに入るようになっていました。そんなある日、私は母の背中を流しているとき、成人雑誌の大人の女性とダブって見えるようになり、その日から母の背中を流すのがとても楽しみになりました。
それから2ヶ月ぐらいして、町内のお祝いの行事があり、母が酩酊して帰ってきました。「お水頂戴!」と言って一気に飲み干すと「今日は、私は、良いも悪いも主人公になっちゃった!」と言って大きな声で笑い始めましたので「どういうこと?」と聞いたら「あなたが聞く内容ではないわね。ごめんね。」と言いましたので、「分かった、そしたら、今日から風呂も入らなし、ゴミも出さない。夜遅く帰ってくる!」と言いましたら、母は私をぐっと抱きしめて「分かったわ、言うけどあなたにとってはどうでもいい話なの・・・。」と言って私の胸に顔を沈めてきましたので「座ってはなそうか。」と言いました。
母は、公民館の宴会場で一人の独身として見られ、注目されていたので他の奥様方から嫉妬の目で見られ、多くの男性から「今度、飲みに行きましょう。電話番号を押してください。」等の声をかけられたとのことでした。「実際、お付き合いしたら奥様から怒られるよ。」と言いましたら「世間にばれなければいいじゃないの。そして独身の男性もいらっしゃるわよ。」と返事が返ってきましたので、私は、冷蔵庫からビールと取り出して一気に飲みました。母は「そんなに飲んで大丈夫なの?」と言いましたので「お袋と対等になりたいからだよ!」と言いましたら「馬鹿ね」の返事でした。
それから時間が過ぎて、「起きなさい。自分の部屋で寝て頂戴。無理してお酒を飲むからよ。」と母から起こされました。母は「私はお風呂に入るから、あなたはベッドで寝なさい。」と言って風呂に行きました。
私は、一息ついて服を脱いで風呂に行きました。母は驚いていましたが喜んでもいました。背中を流すと言いましたら、母はもう洗ったからいいよと断ってきましたが、私がしつこいので、母は「はいはい、ではよろしくお願いします。」と言って洗わせてくれました。
酔いのせいもあって、母の背中だけではなく腕や足を洗っていました。母は終始無口でした。そして「前もちゃんと洗ってくれる?」と聞いてきましたので、酒の力だと思いますが「は~い、今日は大サービスで~す!」と言って洗いました。母は時々「う~」という声を出していましたが当時の私には、何の声かわかりませんでした。
洗い終わりましたら、母が「はい、今度はわたしがサービスする番ね。」と言って洗ってくれましたら、背中に母のオッパイがぐんぐん感じられて、とても興奮していましたら、私の下半身をいきなり触って「あなたも大人になったわね。」と言って風呂から上がりました。
公民館の宴会の次の日から毎日のように、母の携帯に電話がかかってきたり手紙などが来るようになりました。母もさすがに怖くなったようで、私の携帯と交換することになりました。
いつものように、風呂に入って母を洗っていると「タオルを置いて、両手で洗って」い言いましたので、胸のところを洗っていましたら「う~」と言いながら私に抱き着いてきましたので、洗うのを止めましたら「続けて・・・。」と言うので続けていたら、「ねえ、キスして」と言ってきましたので、唇を近づけていたら、母から凄い勢いでキスをしてくると同時に、私の下半身を握りしめていました。
その夜の風呂上りは、二人とも無口でしたし、初めて女としての母を見ました。冷蔵庫からビールを取り出して、母が「ビールの美味し飲み方知ってる?この飲み方は、本当は恋人と飲むものよ。」と言って母からビールの口移しで飲みました。今度は母が「私に頂戴」と言って、何回も口移しで母にビールを飲ませました。そして、長いキスです。
その夜から、私は母の部屋で一緒に寝るようになりましたが、母は大人の関係を拒み続けました。
そんな時、姉が長期の休みで家に買ってきました。姉は敏感で私に「あなたのベッド物置になってるけど、どこに寝てるの?私の部屋には絶対入らないでね。」と言われました。また母には「下着が年の割には派手だけど、若い彼氏でもできたの?遊ぶのはしょうがないけど、結婚だけは反対よ!」と言って戻っていきました。
私たちは、姉がいなくなって、万歳して居間で長い時間抱き合ってキスしていました。久しぶりに一緒に風呂に入り、ベッドで一緒に寝ました。
そして、母も覚悟ができたようで「いつまでも私を大事にしてね。恋人やお嫁さんができても私も一緒に愛してね。私たちの関係はどんなことがあっても絶対話さないでね。将来、些細なことで喧嘩しても二人の関係は絶対秘密にしてね。」と約束して、母のベッドで一つになりました。
セックスは、母がほとんど教えてくれました。
やがて日にちが経過した時、私がエロビデオを見ながら母としていたら、「止めて、私はそんな女じゃないから」と言ってましたが、ある日、他のビデオに変わっていましたので、母も私がいないときにこっそり見ているのかと思いましたし、ベッドでも、ビデオがしているようなことをしてくれるようになっていました。
その母も、父と同じ病気で他界しました。母は病室で「私バチが当たったのよね。」と言って泣いていましたが、私は彼女の顔を両手で包むようにして「お母さん、ありがとう」と言っていつまでもキスをしていました。
母は、親であり、愛しい恋人でもありました。私の家族の事は書けません。